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伝馬(てんま)は、古代から近世までの日本に見られた使者や物資を馬で運ぶ交通制度、またはそれに使われる馬である。伝馬制(てんませい)、駅伝制(えきでんせい)とも呼ばれる。 == 概要 == 古代においては、7世紀後半頃に律令制の中央・地方間の情報伝達システムとして伝馬制が整備された。 律令時代の移動伝達の構想として、駅路と伝路からなる交通網を維持し、それらを利用した駅伝制を整備することにより中央集権を機能させようとしたことが伺われる。すなわち大化2年(646年)の詔勅に「初めて京師を修め、畿内の国司、郡司、関塞、斥候、防人、駅馬、伝馬を置く」(『日本書紀』)とあり、大化の改新に際して、政治・軍事と共に交通制度の全国的整備を行うことを意図したようである。 その後、おそらく10世紀以降に古代伝馬制は廃れたが、中世に至り荘園領主や地頭らが居住地と自領を結ぶ伝馬を置きはじめた。戦国時代には、戦国大名らが自領内の街道に宿場を設け、本城と支城などを連絡する伝馬を設置した。近世に入ると、江戸幕府は諸街道を整備し、各宿場に伝馬を常設させた。 この駅伝制は、 8世紀に制定・施行された律令において詳細な規定がおかれた。大宝元年(701年)の『大宝律令』の厩牧令(くもくりょう)では、駅の設置は大路30里(約16km)毎に一駅が原則であった。駅家に置く駅馬は、大路で20疋、中路で10疋、小路で5疋と定められており、諸国の間の緊急連絡、公文書の伝達、特別の要務による官人の旅行などに用いられた。駅馬を使者が利用するには、駅鈴(えきれい・やくりょう)を携行する必要があった。駅鈴は、使者の位階によって剋(きざみ)数がことなり乗用の駅馬の数が示され、剋が多ければ利用できる馬数も多くなった。駅制を使った情報伝達には、特定の使者が最終目的地まで赴く専使(せんし)方式と、文書などを駅ごとにあるいは国ごとにリレーで送っていく逓送使(ていそうし)方式があった。8世紀頃は逓送方式が取られ、専使は使者本人の口から文書の補足が必要な場合などに派遣されていた。しかし逓送方式の信頼性が失われていき、9世紀後半以降は、専使方式が中心となった。駅使(えきし)の行程は、緊急の場合は一日10駅以上、普通でも一日8駅以上とされていたようである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伝馬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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