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住吉大伴神社(すみよしおおともじんじゃ)は、京都府京都市右京区龍安寺にある神社。社格は旧村社。 衣笠山などに続く住吉山の山麓、京都市道183号(きぬかけの道)の南側にある。南西150mには仁和寺が、北東150mには龍安寺がある。右京区龍安寺や右京区谷口などの産土神である〔平凡社 (1997)、p.404〕。例祭は10月16日である。 == 歴史 == ; 伴氏神社 創建年は不明だが、平安京遷都に際して大伴氏が大和国から京の都に移った際、その氏神として伴氏神社が祀られたものとされる〔京都市文化観光局文化財保護課 (1994)、p.32〕。続日本後紀の天長11年(834年)の条には伴氏神社の創祀に関する記述があるが、現在の住吉大伴神社とも、北野天満宮境内にある伴氏社ともいわれている〔京都市文化観光局文化財保護課 (1994)、p.44〕。弘仁14年(823年)に淳和天皇が即位すると、淳和天皇の諱が大伴だったことから大伴氏は伴氏に改称し、この神社も伴氏神社(ともうちのじんじゃ〔、とものうじじんじゃ〔)と改称された。延喜5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳にも、山城国葛野郡上林郷の項に伴氏神社の名が記録されている〔。貞観6年(866年)の応天門の変で伴善男が失脚し、大伴氏の衰退を機に神社の祭礼も廃絶された〔〔槇野ほか (2007)、p.40〕。 ; 住吉神社 大伴氏の没落後、山城国葛野郡上林郷の当地は左大臣・藤原実能(徳大寺実能)などを輩出した徳大寺家の領地となった〔。平安時代末期には徳大寺家によって住吉神が祀られ、住吉神社(すみよしじんじゃ)と改称された〔。中世までの史料では近世の『山城誌』などの史料はこの住吉神社をかつての伴氏神社に比定している〔。 ; 住吉大伴神社 昭和期に入って再び大伴祖神を祀るべきという意見が強まったため、1942年(昭和17年)には天忍日命(あまのおしひのみこと)と道臣命(みちのおみのみこと)が合祀され、現行の住吉大伴神社(すみよしおおともじんじゃ)と改称した〔〔吉川弘文館編集部 (2010)、p.188〕〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「住吉大伴神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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