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飛翔富士 廣樹(ひしょうふじ ひろき、1989年7月14日 - )は東関部屋(入門時は中村部屋)に所属している現役大相撲力士である。兵庫県神戸市兵庫区出身、本名は住 洋樹(すみ ひろき)、身長193cm、体重196kg、得意手は左四つ、寄り。最高位は東十両13枚目(2011年9月場所)。血液型はB型。星座は蟹座。好物はアイスクリーム。〔飛翔富士4年ぶり十両復帰へ「前に出るしかない」 日刊スポーツ 2015年9月14日22時34分〕 ==来歴== 中学時代に既に190cm・120kgを超えるという体格で、柔道の実績も挙げていた。兵庫中学卒業後に中村部屋に入門し、2005年3月場所にて初土俵を踏む。初番付の序ノ口から3場所連続勝ち越すなど順調に出世し、2007年3月場所に三段目に昇進する。その3月場所では3勝4敗と負け越したものの、序二段に陥落した翌5月場所では6勝1敗と大きく勝ち越して1場所で三段目へ復帰した。 同年7月場所において本名の「住」から「飛翔富士」という四股名に改名した。下の名前の「廣」は阪神・淡路大震災により亡くなった祖母の名から取った〔飛翔富士、天国のばぁちゃんに捧ぐ勝ち越し デイリースポーツonline 2011年1月17日〕。しかし、その7月場所では東三段目48枚目の位置で7戦全敗という大敗を喫してしまった。同年11月場所に再び序二段へ陥落してからは徐々に自身の体に見合った大きな相撲を取れるようになり、その後は2008年9月場所まで6場所連続で勝ち越した。 2009年5月場所に幕下へ昇進し、2009年と2010年は幕下中位から下位に定着していた。2010年9月場所から2011年1月場所にかけて3場所連続で勝ち越し、同年3月場所の中止を挟んで翌5月場所でも西幕下21枚目の位置で4勝3敗と勝ち越し、初の幕下上位となった翌7月場所では西幕下11枚目の位置で6勝1敗と大きく勝ち越した。大相撲八百長問題の影響で減らされていた関取の定員が同年9月場所から元に戻されることもあり、西幕下11枚目で6勝1敗の成績ながらも翌9月場所において新十両への昇進を果たした。中村部屋からの関取の誕生は、2004年3月場所に新十両に昇進した一の谷以来7年ぶりのこととなった。 新十両として迎えた2011年9月場所では、9日目から6連敗を喫し、結果的には4勝11敗と大敗してしまい、翌11月場所において幕下へ陥落した。2012年11月場所後に中村部屋が閉鎖されたため、本人は東関部屋へ移籍した。2012年11月に右膝の靭帯を痛めたことで2013年11月場所に幕下で全休して以来休場を続けており、関取経験者としては戦後10人目の序ノ口まで降格している。序ノ口に降格した2014年7月場所も全休したため、翌場所からは番付外となった。関取経験者が番付外に陥落するのは、龍門、北勝国に続いて史上3人目となった。なお休場中の2013年11月には学会報告用のビデオカメラが入るほどの複雑な手術を受けたという。〔『大相撲ジャーナル』2015年4月号28ページ〕土俵に復帰したのは2015年1月場所で、6日目に再出世が決まる前相撲の3勝目を挙げた。〔飛翔富士、震災20年の節目に再出世 デイリースポーツonline 2015年1月17日(2015年1月18日)〕番付に復帰した翌3月場所は7戦全勝で自身初の各段優勝となる序ノ口優勝。〔春場所、幕下は出羽疾風が優勝 三段目は千代の国が制す 東京新聞 2015年3月20日(2015年3月20日閲覧)〕この頃になると場所中でもスポーツジムでトレーニングを欠かさないようになり、トレーニングで体を鍛えるのが楽しくなったという。〔5月場所も7戦全勝としたが、優勝決定戦で破れて序二段優勝はならなかった。7月場所は7戦全勝とし、三段目優勝を果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飛翔富士廣樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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