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住田呉服店(すみだごふくてん)は、日本の鳥取県米子市東倉吉町にかつて存在した呉服店。主人の住田善平は米子町長をつとめた。 漫画家・妖怪研究家水木しげる(本名武良茂)の祖母の生家でもある。 == 概要 == “住田氏”は近世期中ごろから東倉吉町に居住し、住田屋を号した〔『米子商業史』76頁〕。衣料、雑貨を営業し、近代に入って呉服類を中心に営業を継続拡張した〔。 仕入品の運送はほとんど船便によった〔『米子商業史』77頁〕。境町(現在の境港市)の栢木回漕店に依頼することが多かったとされる〔〔明治24年(1891年)の「金銭渡帳」ではあるが、栢木の代理人手嶋三右衛門、岡松治右衛門に対して支払われた運賃が記録されている。「十月二日、境栢木代手嶋三右衛門、一金壱円六拾六銭壱厘、右ハ加茂川丸積六個運賃」「十月七日、境栢木代手嶋三右衛門、一金四拾壱銭八厘、右ハ住之江丸積貮個運賃」などとあり、積み受けの船はその他金龍丸・墨田川丸・長崎丸・禄川丸などが記されている。〕 住田本店の明治中期の仕入状況をみると、京都の吉田重兵衛、伊藤忠支店など5店、大阪の伊藤忠、伊藤萬、山口玄洞など15店から、南部、郡内、秩父、八丈、越後、博多など各地の絹、綿、麻の織物が数10種類にわたって仕入れられている〔『米子商業史』400頁〕。仕入総額は資料を欠くが、境町(現在の境港市)の栢木回漕店扱いの送状のみをみても、ほとんど毎日の入荷で、原価金額は最高約600円、最低40円である〔。これによって住田本店だけでも、いかに大きな商いであったかを推量することができる〔。 明治10年代(1877年~1886年)後半には近郊に約二町歩の田地を取得し、以前から所持の三反五畝余に加えている〔。 現在の住田家は、呉服商をやめている〔『米子商業史』79頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「住田呉服店」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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