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佐々木原正夫 : ミニ英和和英辞書
佐々木原正夫[ささきばら まさお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [くりかえし]
 (n) repetition of kanji (sometimes voiced)
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

佐々木原正夫 : ウィキペディア日本語版
佐々木原正夫[ささきばら まさお]

佐々木原 正夫(ささきばら まさお、1921年 - 2005年)は、第二次世界大戦時における大日本帝国海軍エースパイロット。甲飛4期。最終階級は海軍少尉
== 略歴 ==
青森県出身。1935年(昭和10年)4月、静岡県立沼津中学校に入学。
後輩にのちに回天特攻隊隊員となる和田稔がいる。
在学中の1938年(昭和13年)、クラスメートらとともに陸上競技部内に「器械体操倶楽部」を立ち上げた〔静岡新聞2002年2月8日掲載〕 。
卒業後の1939年(昭和14年)4月、甲種飛行予科練習生4期生として霞ヶ浦海軍航空隊に入隊。予科練での一年半の基礎教育を終えて飛行練習生となり、戦闘機搭乗員としての教程を経て、開戦直前の1941年(昭和16年)9月、空母「翔鶴」乗組。真珠湾攻撃では母艦の上空直衛に任じ、その後、ラバウル攻略、セイロン沖海戦に参加。1942年(昭和17年)5月の珊瑚海海戦では敵機4機を撃墜した。
同年6月、臨時「隼鷹」乗組としてアリューシャン方面の戦いに参加、その後、「翔鶴」に復帰して南方に転戦し、同年のうちに第二次ソロモン海戦ガダルカナル島の戦い南太平洋海戦と数多くの戦闘を経験した。
昭和17年11月1日、上等飛行兵曹に昇進。一度内地に帰還したものの空母「瑞鶴」に転勤。再び南方に派遣された。
1943年(昭和18年)2月、ガダルカナル島撤退作戦支援のため輸送船団上空直衛中、単機になったとき、運悪く攻撃に来た敵艦上機約30機と遭遇。2機を撃墜したものの被弾し、海上に不時着水し、そのときの衝撃で負傷する。半年間の入院生活ののち、戦闘機の空輸部隊である一〇〇一空に転勤し、戦闘機のテスト飛行、戦地への空輸に任じる。
1945年(昭和20年)、紫電改を主力とする第三四三海軍航空隊に転じ、終戦を迎えた。終戦までの撃墜スコアは12機。
戦後は森永製菓に勤務、零戦搭乗員会事務局長も務めた。2005年死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐々木原正夫」の詳細全文を読む




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