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佐々木 喜久治(ささき きくじ、1921年11月25日 - 2008年5月6日)は日本の内務官僚、自治官僚、政治家。秋田県知事を務めた。 == 経歴 == 1921年、秋田県小坂町出身。秋田県第三中学校(現・秋田県立横手高等学校)、東北帝国大学(現・東北大学)を卒業後、内務省に入省。自治省税務局長の後、1973年11月に消防庁長官に就任。消防庁長官就任直後に大洋デパート火災(1973年11月29日)が発生し、この事案の処理などに当たっている。 1976年、小畑勇二郎知事の副知事となる。 1979年の秋田県知事選挙に出馬し、初当選。以後5期17年を務めた。在任中は、大王製紙の秋田港進出や秋田朝日放送開局、秋田新幹線、秋田自動車道、大館能代空港の建設を推進、秋田県内の高速交通体系の整備に尽力した。 一方で、1985年には大潟村での自由米の運搬を取り締まる検問を秋田県と秋田県警察などが共同で実施し、食糧管理法違反で農業従事者を告発した事で反響を呼んだ。また1987年には秋田魁新報社からの圧力で岩城カントリークラブのコース改修、補修工事を県費で行なったことが明らかになり、県議会で陳謝し、関係者を処分している。 5選後の1995年、食糧費名目で県職員が長年にわたって公費を乱用していた事が明らかになり、1997年の秋田新幹線開業後に引責辞任した。 なお、食糧費問題で1996年4月から24カ月間「十分の七減給」とされていたが、退任直前の1997年1月に県がこの処分を取り消した。このため退職金の額が取り消さなかった場合の約6,995万円から約2億3,317万に大きく増加し、一部の県民から否定的な意見も出た。 2008年5月6日、東京都内の病院で前立腺癌のため死去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐々木喜久治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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