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佐々木定賢 : ミニ英和和英辞書
佐々木定賢[ささき さだかた]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [くりかえし]
 (n) repetition of kanji (sometimes voiced)
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 

佐々木定賢 : ウィキペディア日本語版
佐々木定賢[ささき さだかた]

佐々木 定賢(ささき さだかた)は、江戸時代前期から中期の加賀藩士。佐々木左近大夫家第3代当主。1000石を有した。
== 生涯 ==
金沢に生まれる。寛文6年(1666年)、父の死去に伴い家督を継承する。元禄3年(1690年)に歩兵長、同16年(1703年)に騎兵長。
宝永5年(1708年)には『佐々木氏系譜序例』を著し、六角義治の嫡流である自分こそが佐々木氏の嫡流であると主張した。『寛永諸家系図伝』編纂時に、同族の旗本佐々木高重が自らを佐々木氏(六角氏)嫡流であるとした系図を提出したことを不当とし、抗議したが容れられず誤りが続いているとしている。また「佐々木氏偽宗弁」を付し、六角氏嫡流を称していた沢田源内を、全くの偽系譜(六角氏本家は義実義秀義郷(沢田源内)とする)で世間を欺いていると非難した。これらは『系図綜覧』に収録されている。
高重は、家譜で義治の跡を義治の弟・義定が継いだとし、更に義定の跡は次男の高和が継承したとしていた。高和の子が高重である。『寛永系図』にはこの系譜が採取された。ただしこの家は高重の子・求馬定賢延宝9年(1681年)に早世し無嗣断絶となった。なお『寛永系図』の続編(改修版)・『寛政重修諸家譜』では佐々木庶流となっている。
一方、定賢の先祖は義治の養子・定治である。定治は義定の長男・高賢と、義治の娘との間に生まれた子で、外祖父・義治の養子となったと主張した。
跡は子の定明が継いだ。孫の定国の代に加増されて2100石となった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐々木定賢」の詳細全文を読む




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