|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 佐 : [さ] 【名詞】 1. help ・ 々 : [くりかえし] (n) repetition of kanji (sometimes voiced) ・ 木 : [き] 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber
佐々木 崑(ささき こん、1918年11月2日 - 2009年3月27日〔大分合同新聞社(2009年4月13日)「佐々木崑氏死去」『oita-press』 2010年6月6日検証〕)は、日本の写真家。兵庫県神戸市出身。本名、幸一〔。 昆虫や小動物、花などのネイチャーフォトの草分け的存在。誕生や羽化の瞬間を撮り続け、「小さい生命」としてアサヒカメラ誌に23年間256回連載した。また、昭和を代表する写真家、木村伊兵衛の数少ない弟子の一人である〔。 == 来歴 == 1918年、中国青島に生まれる。幼少期に神戸に移る。小学6年生の時、トーゴーカメラを購入し、写真の魅力を知る。同じ頃、セスナの遊覧飛行を体験し、飛行機の魅力にも惹かれた。 1936年、神戸村野工業学校(現 神戸村野工業高等学校)卒業後に上京、日本理科工業(現 大陽日酸)にて設計に従事する。 1939年、入営。平壌、ノモンハン、旧満州に駐留、1942年除隊し帰国する。軍隊時代も写真を撮り続ける。終戦は神戸で迎え、戦後の混乱期は、様々な仕事をしながら切り抜けた。 1951年、撮影のため神戸に訪れていた、木村伊兵衛と出会い師事。 1955年、神戸新開地でカメラ・DP屋を経営する。 1957年、大阪で商業写真スタジオを経営するかたわら、報道写真家としてアサヒグラフなどの雑誌に多数掲載。 1960年、木村伊兵衛に誘われ、再び上京。木村の撮影に多数同行する。 1963年、科学映画製作会社、東京シネマに入社。スチール写真を担当し、接写や顕微鏡写真などを撮影。 1966年、アサヒカメラ(朝日新聞社)1月号より、「小さい生命」の連載を開始。1980年6月号まで続く。 1969年、再びフリーカメラマンになる。 1973年、朝日新聞日曜版に「ミニ博物誌」を連載。 1978年、竹村嘉夫と共に、日本自然科学写真協会を設立、副会長となる。1981年、2代目会長に就任。 1983年、アサヒカメラ(朝日新聞社)3月号より、「新・小さい生命」の連載を開始。1991年12月号まで通算100回を連載。「小さい生命」と合わせて合計23年間256回の連載が終了。 1997年、アサヒカメラ(朝日新聞社)7月号より、『崑さんの撮る目見たまま」の連載を開始。2001年1月号より『崑昔物語』となり、同年12月で連載を終える。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐々木崑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|