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佐々木 忠次郎(ささき ちゅうじろう、1857年9月27日(安政4年8月10日)- 1938年(昭和13年)5月26日)は明治・大正・昭和期の昆虫学者。近代養蚕学・製糸学の開拓者。 ==経歴== 東京大学在学中、エドワード・S・モースやチャールズ・オーティス・ホイットマンの指導を受けた。 * 1877年9月16日、モースの生徒として、松村任三、松浦佐用彦とともに大森貝塚の発掘調査を行った。 * 1879年には日本人だけによる最初の発掘調査として、後輩の飯島魁とともに陸平貝塚の調査を行っている。 * 1881年、東京大学理科大学生物学科第1回生として卒業。その後、駒場農学校助教授、教授を経て、東京帝国大学農学部教授となる。 * 1921年退官、名誉教授となる。 * 1922年4月7日、帝国学士院会員となる〔『官報』第2902号、大正11年4月8日。〕。 害虫研究や蚕研究を行い、多くの著書と論文を発表し、没後その功績を称え旭日重光章が贈られた。また国蝶のオオムラサキの属名「ササキヤ(''Sasakia'')」は彼に対する献名である。 なお、父佐々木長淳も養蚕学の研究者である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐々木忠次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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