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佐々木 有生(ささき ゆうき、1976年9月12日 - )は、日本の男性総合格闘家。北海道釧路市出身。GRABAKA所属。北海道釧路西高等学校卒業。 空手とムエタイで鍛えられた打撃と、GRABAKAで鍛えられた寝技を駆使するオールラウンダー。GRABAKAの創生期を支えたメンバーの1人であり、リーダーの菊田早苗のスパーリングパートナーを最も長く務めている。 == 来歴 == 高校2年生の時にUFC 1のホイス・グレイシーの戦いを見て格闘家を志す。地元の大道塾に入門し、19歳で単身タイへ飛びムエタイ修行を積む。 帰国後、寝技習得のために上京し、偶然格闘技道場で出会った菊田早苗と意気投合。公共の体育館で2人だけで練習するようになり、それが後のGRABAKAの原点となった。 1998年4月10日、初参戦となった修斗で割田康士と対戦し、ヒールホールドで一本勝ち。同年の7月18日には竹内出から判定で勝利し、その後も修斗で2連勝。 1999年5月27日、修斗で桜井隆多と対戦し、ヒールホールドで一本勝ち。 2001年からはパンクラスを主戦場とし、2月4日、デビュー戦となった渡辺大介戦では腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。 2001年2月4日、パンクラスで美濃輪育久と対戦。序盤から打撃で美濃輪を苦しめるも、3R開始直後にリバースアンクルホールドで一本負け。 2001年10月1日、パンクラスでパンクラスismとGRABAKAとの5対5の対抗戦が行われる。佐々木は副将として石井大輔と対戦、強烈な左ハイキックを石井にヒットさせ、そのまま腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。 2002年9月29日、パンクラスでアレックス・スティーブリングと対戦し、3-0の判定勝ち。 2002年12月23日、PRIDE初参戦となったPRIDE.24でホドリゴ・グレイシーと対戦し、判定負けを喫した。 2006年8月17日、UFC初参戦となったUFC Fight Night 6でディーン・リスターと対戦し、判定負けを喫した。 2007年11月16日、Strikeforceのミドル級トーナメント1回戦でジョルジ・サンチアゴと対戦予定であったが、MRI検査で異常が発見され、カリフォルニア州アスレチック・コミッションからライセンスが発行されず欠場となった。 2008年5月18日、戦極初参戦となった戦極 〜第二陣〜でジョルジ・サンチアゴと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け。 2008年9月28日、戦極 〜第五陣〜のミドル級(-83kg)グランプリシリーズ1回戦で近藤有己と対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち。 2010年2月25日、Bitetti Combat 6でパウロ・フィリオと対戦予定であったが〔Sasaki, Not Sakuraba, for Filho SHERDOG 2010年2月11日〕、フィリオの欠場により試合が消滅した〔地球の裏から グラバカ佐々木のブログ 2010年2月28日〕。12月4日、Bitetti Combat 8で改めてフィリオと対戦し、0-3の判定負けを喫した。 2010年12月30日、戦極 Soul of Fightでマメッド・ハリドヴと対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した〔【SRC戦極】12・30日沖発がフェザー級王座獲得!交流戦はSRCが勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月30日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐々木有生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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