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佐々木 秀世(ささき ひでよ、1909年4月12日 - 1986年2月1日)は、日本の政治家。運輸大臣。1980年勲一等瑞宝章受章。元衆議院議員の佐々木秀典や現職の旭川市議の佐々木邦男は子息。 == 来歴・人物 == 山形県東村山郡山辺村(現・山辺町)に、加藤富太郎の四男として生まれる。1928年早稲田工手学校(現・早稲田大学芸術学校)電気科高等科を卒業。近衛師団中野電信隊勤務を経て、1930年渡道し、旭川市の菓子店「中屋菓子舗」の店員となる。1933年には小学校教諭の佐々木サヨと結婚し、佐々木家の養子となる。翌1934年には「亀屋食料品店」を設立。1942年旭川市議に当選し、政界入り。 戦後の1947年、第23回衆議院議員総選挙に民主党から旧北海道2区にて立候補し、初当選を果たす(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘・増田甲子七・中山マサ・荒木万寿夫・原田憲・櫻内義雄・根本龍太郎・中村寅太など)。以後、2回の落選(1953年の第26回衆議院議員総選挙と1958年の第28回衆議院議員総選挙)をはさみつつ当選9回。同年炭鉱国家管理法案に反対し、原健三郎・本間俊一らとともに除名され同志クラブを旗揚げした。翌1948年民主自由党入りする。1951年には運輸政務次官となる。 1952年の福永健司幹事長指名騒動では、47年衆院選当選同期の倉石忠雄・石田博英らとともに指名阻止に動き、反吉田色を強めていく。保守合同後は石田の片腕として石橋政権実現に尽力し、その後議会運営・国会対策の手腕を買われ宏池会入りする。 衆院議会運営、社会労働各委員長、自民党副幹事長、国会対策委員長、広報委員長等を歴任し、1972年7月に第1次田中角榮内閣で運輸大臣に就任する。1972年には赤字必死の地元北海道の白糠線について運輸大臣命令という形で日本鉄道建設公団から日本国有鉄道に強引に移管させて開業させた(白糠線は1983年10月に廃線)。同年12月に運輸大臣退任。 1976年にロッキード事件で「灰色高官」の一人として関与が取り沙汰され、同年政界を引退する。その後は競輪の振興に務めた縁から(社)日本競輪選手会顧問などを務めた。 1986年2月1日、急性心不全のため死去。享年76。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐々木秀世」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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