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佐々木 高重(ささき たかしげ、生年未詳 - 承久3年6月14日(1221年7月5日))は、鎌倉時代前期の阿波国守護代。近江源氏・佐々木氏の一族で、阿波・土佐・淡路三カ国の守護を兼ねた佐々木経高の長男。弟に高範、子に高兼がある。 == 人物・生涯 == 承久の乱で阿波国内の兵六百人を率いて撫養の港(現徳島県鳴門市)から上京し、父経高の率いていた淡路の兵らと合流した。しかし圧倒的な鎌倉の大軍を支えることができず、わずかとなった上皇方は京都へ敗走し、それぞれの国もとへ逃げ帰った。この戦いで阿波の佐々木経高と高重の父子は討死して果て、六百余の阿波の兵もほとんど帰らなかった。 乱後、阿波国に対して幕府は佐々木氏に代わり小笠原長清を守護職に任じた。長清は阿波へ入ると佐々木氏の居城であった名西郡の鳥坂城(現徳島県石井町鳥坂)を攻めた。ほとんど兵のいない鳥坂城は炎上し、留守を守っていた経高の二男高兼は、一族や老臣の平岡利清らと城を捨てて、名西郡の山中の鬼籠野村へ逃げた。しかし小笠原氏は高兼の生存を許さなかったため、高兼は一族と家臣達が百姓となって、この地に住む事を条件に自ら弓を折り腹を切って自害した。 現在、神山町鬼篭野地区にある弓折の地名は、高兼が弓を折って自害した所で、同地区に多い佐々木は、かっての阿波守護職、近江源氏佐々木経高の後裔達であるといわれる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐々木高重」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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