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佐伯 三野(さえき の みの、生年不詳 - 宝亀10年2月6日(779年2月26日))は、奈良時代の貴族。本姓は佐伯宿祢。右衛士督佐伯人足または参議佐伯今毛人の子〔三野の出自の出典については、佐伯今毛人の項の脚注を参照。〕。子に魚麻呂・熊足がいる。従四位下・鎮守将軍。名は美濃とも書く。 == 略歴 == 天平宝字8年(764年)9月12日、藤原仲麻呂の乱で孝謙上皇方として動き、恵美押勝(藤原仲麻呂)軍と近江国高島郡三尾埼で交戦してこれを殲滅した三野は正六位上から従五位上に昇叙される。9月18日には逃亡した恵美押勝が石村石楯によって斬殺され、孝謙上皇はその10月に淳仁天皇を廃し称徳天皇となった。 翌天平神護元年(765年)2月5日、三野は左衛士佐に任じられ、またその翌年の天平神護2年(766年)2月21日には功田20町を与えられ代々の地権も授かり、さらに天平神護2年(767年)3月20日には下野守に任ぜられ下野国に下向する。その職務を満了した後の宝亀元年(770年)10月1日、崩御した称徳天皇に代わり皇位に就いた光仁天皇によって正五位下に、またそのすぐ後の宝亀2年(771年)閏3月1日には従四位下に叙されるとともに、陸奥守と鎮守将軍の兼務を命じられる。宝亀3年(772年)9月29日には右京大夫に任ぜられるが、7年後の宝亀10年(779年)2月6日に卒去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐伯三野」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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