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佐伯 理一郎(さえき りいちろう、1862年 - 1953年)は、日本の産婦人科医師で、京都で京都看病婦学校・京都産婆学校の校長に歴任した。学会活動のほか、公衆衛生、医史学、医師会などで優れた働きをした〔泉〕。 ==略歴== 文久2年3月5日、肥後国(後の熊本県)に生まれる。1878年、県立熊本医学校に入学。1882年7月、熊本医学校卒業〔山崎〕。上京し、東京大学で外科ユリウス・スクリバ、内科エルヴィン・フォン・ベルツ、眼科梅錦之丞 の指導をうける。1984年、海軍軍医補(横須賀海軍病院)。組合教会系のクリスチャンの佐伯はこの頃、アメリカンボードの宣教医セオダー・ギューリックに出会い教会の設立に関わることになった。佐伯らはフェリス女学院のリラ・ウィン宣教師に協力を要請し、1886年7月15日に井深梶之助、和田秀豊らにより横須賀日本基督一致教会(現・日本キリスト教会横須賀教会)が設立される。〔『日本キリスト教会50年史』p.46〕 1886年 - 1891年、ペンシルベニア大学にて、産科をパンロース教授、婦人科をグーデル教授に学ぶ。米国では日本人留学生の世話をしていたウォルター・モリス宅の夕食会に、内村鑑三、新渡戸稲造らと共に列席した。〔鈴木範久『内村鑑三』p.30-31〕1888年、渡欧。ミュンヘン大学ウインケル教授学び、ライプチッヒ、ベルリン、エジンバラを歴訪。グラスゴーで建造された軍艦千代田に乗り帰国。海軍軍医学校は産婦人科は設置されないので退官。1891年、京都同志社病院長。付設京都看病婦学校にて産科を講義。1894年 - 1995年、日清戦争従軍、佐世保海軍病院。1998年、同志社病院を閉鎖。京都看護婦学校を設置(1947年、新制度で廃校)、1909年に上京区に京都産院を新築、産婆看護婦学校を移転。佐伯は1953年に永眠するが, 佐伯病院は佐伯医院ウィメンズクリニックとして今に存続している〔佐伯医院 〕。 佐伯式養生法(禁酒・禁煙・玄米・菜食・少食)でも知られる〔泉〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐伯理一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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