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佐倉藩(さくらはん)は、下総国印旛郡佐倉に存在した藩である。藩庁は佐倉城(現在の千葉県佐倉市)。石高はおおむね11万石。 == 概要 == 佐倉城の東。現在の印旛郡酒々井町には、下総守護下総千葉氏の家系に連なる佐倉千葉氏の居城本佐倉城跡(国の史跡)がある。印幡浦(現在の印旛沼)に面した本佐倉城は、戦国時代末期には相模国小田原城の後北条氏の支城となり、北条氏直に家督を譲って武蔵国江戸城に隠居した北条氏政によって支配された。 佐倉は江戸時代には江戸の東を守る要衝の地であり、徳川一族・譜代大名が入封する重要な藩であった。 江戸時代前半は、老中・大老となる幕閣の中心人物が入封し、罷免、致仕、失脚のたびに藩主の入れ替わりが激しい藩で、12回もお家変わりがあった。 徳川家康は関東入国後〔天正18年(1590年)に三浦義次(後の重成)が佐倉に1万石で入封したとする説もあるが、義次の治所については諸説があり確定していないため、歴代佐倉藩主には加えずに「下総三浦藩主」として扱われるのが一般的である。また、これとは別に久野宗能が1万3千石で入封したとする説もある。〕の文禄2年(1593年)、5男の武田信吉を佐倉に4万石で配置する。慶長7年(1602年)に信吉が常陸国水戸藩に移ると、6男の松平忠輝が5万石で入るが、翌慶長8年(1603年)にわずか40日で信濃国川中島へ転封。慶長11年(1606年)小笠原吉次が尾張国犬山藩から入って、慶長13年(1608年)に常陸国笠間藩へ移封。なお、この頃までの藩庁の位置については本佐倉城にあったという説もあるが、確証はなく不明である。 慶長15年(1610年)、下総国香取郡の小見川藩から、老中となった土井利勝が3万2000石で入って、佐倉城(現在、城跡の一画に国立歴史民俗博物館が建つ)を築城し、幕閣の重鎮として累進を重ねて、加増され14万2千石を領するに至る。寛永10年(1633年)に下総国古河藩へ転出。 同年に豊後国日田藩より石川忠総が7万石で入り、翌寛永11年(1634年)に近江国膳所藩へ移封。 寛永12年(1635年)に摂津国高槻藩から松平家信(形原松平家)が4万石で入り、寛永17年(1640年)に次の康信が再び摂津国高槻藩へ戻る。 寛永19年(1642年)、信濃国松本藩から堀田正盛が11万石で入るが、慶安4年(1651年)に3代将軍・徳川家光に殉死。子の堀田正信は万治3年(1660年)、幕政に不満を抱き、佐倉に無断帰城したため、改易除封。 寛文元年(1661年)、上野国館林藩から松平乗久(大給松平家)が入るが、延宝6年(1678年)に肥前国唐津藩へ移封。 同年、肥前国唐津から入れ替わりで、大久保忠朝が8万3000石で入り、老中となって、貞享3年(1686年)に相模国小田原藩へ移封。 同年、武蔵国岩槻藩から戸田忠昌が6万1千石で入り、老中となって、7万1000石に加増。次代・忠真は元禄14年(1701年)、越後国高田藩へ移封。 同年、越後国高田藩から入れ替わりで稲葉正往が10万2000石で入り、次代・正知は享保8年(1723年)に山城国淀藩へ移封。 同年、山城国淀藩から、松平(大給)乗久の孫・松平乗邑が6万石で入り、子の乗祐が延享3年(1746年)に出羽国山形藩へ移封。 同年、出羽国山形藩から、堀田正亮が10万石で入封。老中首座をつとめ、1万石が加増されて11万石となる。その後は幕末まで堀田家の支配で定着した。 山形藩からの移封に伴い、堀田正信の弟・堀田正俊を祖とする堀田家の佐倉藩領は、下総国の印旛、千葉、埴生、海上、匝瑳、香取各郡のうち、上総国の山辺、武射、長柄、夷隅、望陀、市原各郡のうち、さらに出羽国村山郡にわたり、城付きで7万石、山形分領が4万石あったといい、山形の柏倉陣屋には相当数の家臣を常駐させていた。 幕末の藩主で老中を努めた堀田正睦は蘭学を奨励し、医師佐藤泰然を招いて佐倉城下の本町(現・佐倉市本町もとまち)に順天堂を開かせ、学問を奨励する。ペリー来航以降、外国事務取扱の老中となり、ハリスとの日米修好通商条約締結などで、奔走するが、井伊直弼の大老就任で、老中を罷免され、蟄居した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐倉藩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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