翻訳と辞書
Words near each other
・ 佐分利川
・ 佐分利村
・ 佐分利貞男
・ 佐分利重隆
・ 佐分千恵
・ 佐分慎弥
・ 佐分眞
・ 佐分親清
・ 佐別當賢治
・ 佐剤
佐加利山城
・ 佐助
・ 佐助稲荷神社
・ 佐千原村
・ 佐原
・ 佐原2丁目公園
・ 佐原PA
・ 佐原の大祭
・ 佐原の山車行事
・ 佐原の町並み


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

佐加利山城 : ミニ英和和英辞書
佐加利山城[さかりやまじょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [か]
 【名詞】 1. addition 2. increase 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山城 : [やまじろ]
 (n) mountain castle
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 

佐加利山城 : ウィキペディア日本語版
佐加利山城[さかりやまじょう]
佐加利山城(さかりやまじょう/さがりやまじょう〔『角川日本地名大辞典』は「さかりやま」、『日本歴史地名大系』は「さがりやま」と読み仮名を振っている。〕、盛山城下山城)は、長門国豊浦郡(現在の山口県下関市長府江下町付近)にあった日本の城
== 歴史 ==
築城時期は不明だが鎌倉時代には存在しており、鎌倉幕府滅亡の2年後の建武2年(1335年)に、前長門探題北条時直の遺児である北条上野四郎がこの城に立て籠もったとされる。上野四郎は、時直を討った功績で守護に任ぜられていた厚東武実を攻めようとしたが、少弐頼尚宗像氏範らの支援を受けた武実によって逆に攻め滅ぼされた。その後、厚東氏が没落して城は大内氏の支配下に入った。
康暦2年/天授6年(1380年)、長門守護代であった杉智静大内満弘(守護・大内弘世の次男)を擁して反乱を起こすが、弘世の嫡男である大内義弘によって討たれた。通説では義弘は弘世の名代と考えられてきたが、近年ではこの反乱の首謀者は室町幕府の後ろ盾で家中の実権を握った義弘を廃そうとした弘世自身で、杉智静はそれに従ったに過ぎないとする説もある(弘世は杉智静の戦死直後に没した)〔藤井崇「康暦内戦に関する諸問題」『室町期大名権力論』同成社、2013年 ISBN 978-4-88621-650-2〕。
その後、応永の乱で室町幕府に反乱した義弘は戦死すると、弘世の遺児の1人である大内弘茂が新しい守護に任じられる。そのため、もう1人の遺児である大内盛見(義弘・満弘の弟で弘茂の兄)が反乱を起こし、弘茂の長門守護代である陶山高安がこの城に入った。だが、応永8年(1401年)に盛見側の攻勢によって四王司城を攻め落とされると、弘茂は四王司城の南西にある佐加利山城に逃れた後、ここで自害した。
以後の記録に登場せず、廃城時期も不明。城の推定地は開発が進み、遺構も不明な部分が多い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐加利山城」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.