|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 佐 : [さ] 【名詞】 1. help ・ 古 : [ふる] 【名詞】 1. used 2. secondhand ・ 純 : [じゅん] 1. (adj-na,n) pure 2. innocent 3. chaste ・ 純一 : [じゅんいつ] 1. (adj-na,n) purity 2. homogeneity 3. unadorned ・ 一 : [いち] 1. (num) one
佐古 純一郎(さこ じゅんいちろう、1919年〈大正8年〉3月7日 - 2014年〈平成26年〉5月6日)は日本の文芸評論家、二松学舎大学名誉教授、日本基督教団中渋谷教会名誉牧師。 == 略歴 == 大正8年(1919年)、徳島県名西郡神山町生まれ。旧制徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)を経て朝鮮全羅南道光州東中学校を卒業。 昭和13年(1938年)、二松学舎専門学校入学。在学中の昭和15年(1940年)に亀井勝一郎を訪問。以後師事する。昭和16年(1941年)、二松学舎専門学校卒業。同年、日本大学法文学部宗教学科入学。同年5月、改造社が募集した第一回文芸推薦評論に『歴史と人間』が佳作入選。大学在学中の昭和18年(1943年)、創元社に入社。小林秀雄に知遇を得て、以後指導を受ける。同年日本大学を繰り上げ卒業。 昭和19年(1944年)、海軍の召集を受け、対馬海軍警備隊の通信隊付の暗号兵に配属。昭和20年(1945年)8月、対馬の竹敷にて終戦を迎える。 昭和23年(1948年)、日本基督教団中渋谷教会にて洗礼を受ける。昭和24年(1949年)、日本聖書神学校本科入学、昭和26年(1951年)に退学。同年、第一論評集『純粋の探求』を出版。 昭和29年(1954年)、文学界の第一回課題評論に『椎名麟三論』が入選。同年8月、創元社退職。9月、角川書店入社。 昭和32年(1957年)、朝日新聞に「文学はこれでいいのか」を発表。「文学はこれでいいのか」論争の発端となる。同年9月、角川書店退職。以後、執筆生活に入る。 文芸評論を主として執筆活動をする傍ら、宇都宮大学、聖心女子大学、上智大学、日本女子大学、二松学舎大学等の講師を歴任し、二松学舎大学教授、学校法人二松学舎理事等を経て、昭和61年(1986年)、二松学舎大学学長に就任。 平成2年(1990年)、二松学舎大学名誉教授。1998年(平成11年)日本キリスト教文化協会よりキリスト教功労者の表彰を受ける。 平成26年(2014年)5月6日午前10時12分、老衰のため東京都西東京市の老人ホームで死去〔文芸評論家の佐古純一郎さん死去 朝日新聞 2014年6月5日〕。95歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐古純一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|