|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 佐 : [さ] 【名詞】 1. help ・ 味 : [あじ] 1. (adj-na,n) flavor 2. flavour 3. taste ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 宝 : [たから] 【名詞】 1. treasure ・ 塚 : [つか] 【名詞】 1. mound ・ 古 : [ふる] 【名詞】 1. used 2. secondhand ・ 古墳 : [こふん] 【名詞】 1. ancient (mound) tomb
佐味田宝塚古墳(さみたたからづかこふん)は、奈良県北葛城郡河合町に所在する古墳時代前期後半の前方後円墳である。 == 概要 == 佐味田宝塚古墳は、奈良盆地の南西部にある馬見古墳群にあり、墳丘は前方部を北東に向け全長111.5メートル、後円部直径60メートルである。濠は確認されていない。 この古墳からは1882年(明治14年)に約36面の銅鏡〔京都府椿井大塚山古墳36面、奈良県新山古墳34面、同黒山古墳34面うち33面が三角縁神獣鏡、岡山県丸山古墳31面〕が出土し、その中に家屋文鏡(かおくもんきょう)と呼ばれている直径22.9センチの大型鏡があった(宮内庁書陵部蔵)。 その鏡の文様は、この古墳に葬られた人々の居館を構成する家屋を表現したものであり、それらの家屋は、まつりごと(祭事・政事)や4世紀ごろの地域の首長の日常生活に使用されていたものと考えられている。 この発掘で出土した遺物は他に、玉類、石釧(いしくしろ)、鍬形石(くわがたいし)、石製合子(ごうす)、滑石制模造品、銅鏃、巴形銅器、刀子、剣、斧、鑿など、総数140点。これらは東京国立博物館と宮内庁書陵部に保管されている。埋葬施設は粘土槨、その周囲に礫を埋めた排水溝を巡らせていたと推測されている。 1985年(昭和60年)度に実施された墳丘の範囲確認調査により墳丘の裾から出土した円筒埴輪列から、4世紀末から5世紀初頭頃に造られたものと考えられている。つまり、馬見地域で最初に築造された前方後円墳であることが分かった。墳丘はかなり削平されているものの、全長111.5メートル、後円部径60メートル、前方部幅50メートル、現状では後円部は楕円形をしているが、検出した埴輪の状況から元来は正円をしていたと考えられており、二段築成で葺き石と埴輪が並べられていたと推定されている。埴輪は鰭付(ひれつき)円筒埴輪列が並び、くびれ部には形象埴輪が存在した。形象埴輪は盾、蓋(きぬがさ)、短甲、草摺(くさずり)、靭(ゆき)、家、壺形など。その他の出土遺物は車輪石、墳頂で採取された三角縁神獣鏡破片が発見されている。〔西藤清秀「佐味田宝塚古墳」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第3巻 原始3』同朋舎出版 1991年 89-90ページ〕 1987年(昭和62年)国の史跡に指定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐味田宝塚古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|