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佐多久政 : ミニ英和和英辞書
佐多久政[さた ひさまさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

佐多久政 : ウィキペディア日本語版
佐多久政[さた ひさまさ]

佐多 久政(さた ひさまさ)は戦国時代から安土桃山時代の武将。薩摩国島津氏の家臣。
== 生涯 ==
永禄11年(1568年)、島津貴久菱刈氏を攻める際に栗野(現在の鹿児島県姶良郡栗野)の番手を勤めていたが、3月23日に菱刈氏が相良氏渋谷氏と共に曾木城を攻めた為、城主の宮原景種を救うべく出陣し、敵数十人を討ち取ってこれを追い払った。
天正8年(1580年)、肥後矢崎城攻めに参加しこれを落城せしめ、その翌日の綱田城攻めでも敵を降参させるべく功があった。また同年11月に合志城下を放火した際に敵4,000が打ち掛かってくるが、久政らはこれを打ち崩して首級300余を上げるに至る。その後の水俣城攻め、同11年(1583年)の耳川の戦いにも軍功を上げた。しかし、天正15年(1587年)、豊臣秀吉九州征伐に乗り出すと、久政が守っていた田北城も攻撃を受け、奮戦するも敢え無く戦死した。墓は知覧の栄仙寺に建てられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐多久政」の詳細全文を読む




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