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佐多氏(さたし)は、日本の氏族の一つ。 ==概要== 鎌倉時代の文保2年(1318年)3月15日、島津宗家4代当主忠宗の三男・忠光が大隅国の佐多(現・鹿児島県南大隅町)を与えられてより、「佐多氏」を称したのが始まりである。〔それ以前は建部姓佐多氏が佐多を治めていた。(稲葉行雄『「さつま」歴史人名集』 高城書房)〕。忠光は更に、文和2年(1358年)に足利尊氏により薩摩国知覧(現・鹿児島県南九州市知覧町)を与えられている。 忠光より伊敷(現・鹿児島県鹿児島市伊敷)の地に居住していたが、孫の氏義の代に佐多へ居城を移す。更に、その子である親久の頃に知覧城へと移った。ただし、その子の忠遊は自ら一代を限りに佐多へ居住している。 江戸時代より薩摩藩一所持の家格となる。16代島津久逵は2代藩主島津光久の子で、4代藩主島津吉貴より島津庶流知覧家として長男家のみであるが島津姓を代々名乗ることを許された。次男家は変わらず佐多姓(佐多本家家臣格)を名乗り、庶流には達山氏(加世田・穆佐衆)や伊佐敷氏などがある。諱は嫡男が「久」の字、次男以降が「直」の字とされた。また、直別支流であることから、正徳年間以降は士分以下や他家の奉公人が佐多氏を称することは許されなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐多氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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