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佐山優 : ミニ英和和英辞書
佐山優[さやま まさる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [ゆう]
  1. (adj-na,n) actor 2. superiority 3. gentleness

佐山優 : ウィキペディア日本語版
佐山優[さやま まさる]

佐山 優(さやま まさる、1943年3月24日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する調教師、元騎手栗東トレーニングセンター所属。京都府出身。
1961年に中央競馬で騎手デビュー。京都大障害を春秋連覇したタカライジンなどに騎乗し、1983年までに障害競走重賞8勝を含む204勝を挙げた。騎手引退後の1984年より厩舎を開業。「ヒシ」の冠名で知られた阿部雅一郎の知遇を得、1995年のスプリンターズステークス優勝馬ヒシアケボノ、2002年から2003年にGI競走で3勝を挙げたヒシミラクルなどを手掛けた。2014年に定年引退。
舅は騎手・調教師の池田三郎
== 経歴 ==
1943年、栃木県足利市に生まれる〔木村(1997)pp.336-337〕。出生名は松田優〔。太平洋戦争中に実父が戦死し、地方競馬足利競馬場厩務員を務めていた叔父・佐山小太郎に育てられた〔。後に小太郎が国営競馬京都競馬場へ移ったことに伴い、優も京都で育つ〔。小太郎は京都で名門の伊藤勝吉厩舎に所属し、優駿競走(日本ダービー)優勝馬タチカゼ阪神3歳ステークスなど27勝を挙げた牝馬ワカクサを担当している〔。
伊藤厩舎の主戦騎手だった杉村一馬に憧れて騎手を志し、11歳の時から厩舎で騎手見習いとして過ごした〔。見習い時代には、杉村が乗って桜花賞に優勝するワカクモテンポイントキングスポイントの母)の調教も担当した〔。
18歳となった1961年に騎手免許を取得〔木村(1997)pp.337-338〕。同年3月に一馬の父・杉村政春厩舎からデビューし、4月11日に初勝利を挙げた。体重が重かったため2年目から障害競走を中心に騎乗し〔、4年目の1964年5月、フジノオーのライバルとして知られたタカライジンに騎乗して京都大障害(春)を制し、重賞初勝利を挙げた。同馬では秋の京都大障害も制し、春秋連覇を達成している。以後も平地での騎乗も兼業しながら、障害で重賞勝利を重ねた。1967年には京都大障害を含む障害11勝、平地でも10勝を挙げた。1971年に杉村政春の死去に伴い、一馬の厩舎に移籍。その後服部正利厩舎を経て、騎手生活晩年には舅の池田三郎厩舎に所属した。
1983年に4度目の受験で調教師免許を取得し、騎手を引退。通算1643戦204勝(うち障害404戦79勝)。重賞8勝は全て障害競走で挙げた。
1984年、死去した池田三郎の後を引き継いで厩舎を開業〔芦谷(2001)p.254〕。3月に初勝利を挙げ、同年7月にはトーワカチドキが金鯱賞を制し、調教師としての重賞初勝利を挙げた。以後しばらくは年間10勝前後を挙げる中堅から下位の成績であったが、1990年に「ヒシ」の冠名を使用した有力馬主・阿部雅一郎と知り合い、以後その所有馬を管理することで成績が向上していった〔木村(1997)pp.340-341〕。1992年にはヒシマサルなどによる重賞4勝を含む39勝を挙げて勝利度数で全国4位に付け、優秀調教師賞を初受賞。1995年12月にはヒシアケボノスプリンターズステークスを制し、GI競走を初制覇。小太郎と二代のGI級競走優勝を果たした。翌1996年にはヒシナタリーなどで重賞6勝を挙げ、2度目の優秀調教師賞を受賞した。
2000年代に入るまで短距離競走で活躍する馬が多かったことから「短距離厩舎」との評もあり〔、佐山自身「中距離、長距離と混ぜ合わせてどこでもGIを勝てる馬が欲しい〔」と語っていたが、2002年に長距離競走の菊花賞においてヒシミラクルが10番人気という低評価を覆して優勝し、クラシック競走を初制覇を果たす。同馬は翌年の天皇賞(春)宝塚記念をいずれも人気薄で制し、同年の最優秀父内国産馬に選出された。
以後も複数の重賞勝利馬を管理し、2013年2月にはJRA通算500勝を達成。翌2014年2月をもって70歳定年により調教師を引退した。調教師としての通算成績は6847戦511勝(うち地方22戦2勝)、GI競走4勝を含む重賞23勝。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐山優」の詳細全文を読む




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