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佐武義昌 : ミニ英和和英辞書
佐武義昌[さたけ よしまさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

佐武義昌 : ウィキペディア日本語版
佐武義昌[さたけ よしまさ]
佐武 義昌(さたけ よしまさ、天文7年(1538年) - 元和6年(1620年))は、紀伊国豪族雑賀衆の一人。佐竹允昌の子。兄に佐武源大夫。通称伊賀守源左衛門慶誓
== 生涯 ==
1549年天文18年)、12歳の時に鉄砲の訓練を受け、同年に湊氏と岡氏の戦いで初陣を果たした。1555年弘治元年)、18歳の頃には根来寺へ入山。福宝院の行人となって修行する。 同年、根来の蓮花谷と菩提谷が争うと福宝院は蓮花谷に属していたため、 義昌も合戦に参加した。その後、傭兵稼業に入った。
一時、四国へ渡って長宗我部氏の宿敵である本山茂辰に田畑70町歩で仕える。仕える際に長宗我部、本山両氏から競って勧誘されるが、本山氏が先に声をかけたので本山氏に仕える。1560年5月28日永禄3年)、戸の本の戦いでは本山軍として長宗我部国親元親親子と戦うも、本山軍が敗れ、義昌も敗走し、雑賀に戻った。
1570年9月12日元亀元年)から勃発した石山合戦では鈴木重秀と共に織田信長と戦い、信長による紀州征伐でも活躍した。
豊臣秀吉による紀州征伐では、義昌は的場昌長(源四郎)と共に大将として奮戦し、雑賀城を守った。雑賀衆・根来衆が滅亡した後も、彼は最後まで抵抗を見せたと言う。その後、義昌は紀伊・熊野の山中に逃れたが、征伐後に紀伊半島に赴任した浅野幸長に1,000石を禄せられて仕え、紀伊の町の再興や寺院の再建に尽力した。
1613年慶長18年)8月25日、幸長が38歳で亡くなると、弟の長晟に仕える。1619年7月元和5年)、安芸広島42万石に加増・移封されるとそれに従う。
1620年(元和6年)、死去。享年83。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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