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佐治氏(さじし)は、日本の氏族のひとつで、因幡国八上郡佐治郷の国人領主。 == 歴史 == 本姓を尾張氏といい、八上郡司の尾張氏の一族で代々、佐治郷司を務めていた。初代を佐治四郎道貞といい、佐治郷の在地領主として佐治谷の本格的な開発を行った。在地名の「佐治」を苗字として名乗るようになった佐治氏は、佐治重貞の代に鎌倉幕府御家人の地位を得て、佐治郷地頭に任じられた。佐治氏は佐治川を境に「北方」と「南方」と呼ばれる行政区分を設けて佐治郷の支配を行った。鎌倉時代後期になると分割相続による所領の細分化が進行したため、所領を巡る一族内の争いによって内紛状態が起こっていたが、訴訟などを通して事態の収拾が図られた。鎌倉幕府滅亡後は南朝に属していたが、建武3年(1336年)の湊川の戦いの後、北朝に帰順したため本領が安堵された。文和4年(1355年)の神南合戦には山名時氏傘下の国人として「佐治但馬守」の名が見えるが、応仁・文明の乱以後、佐治氏は史料上に現れなくなり、江戸時代には小泉友賢によって「書籍ニモ載ラズ、言ヒ伝ヘモ無ケレバ、何ノ武士タル事モ考ヘ難シ」(『因幡民談記』)と記されている。現在、佐治氏関係の文書としては因幡民談記所収の「加勢木村百姓某所有文書」と「弁官補任紙背文書」(東洋文庫所蔵)などが知られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐治氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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