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佐渡ヶ嶽部屋(さどがたけべや)は、日本相撲協会所属で二所ノ関一門の相撲部屋。 == 歴史 == 二所ノ関部屋に所属する元小結・琴錦が1955年(昭和30年)5月場所限りで引退して年寄・11代佐渡ヶ嶽を襲名すると同時に、数名の内弟子を連れて二所ノ関部屋から分家独立する形で佐渡ヶ嶽部屋を創設した。11代佐渡ヶ嶽は横綱・琴櫻、大関・琴ヶ濱、関脇・長谷川らを育てたが、1974年7月場所中に急逝した。 11代佐渡ヶ嶽が逝去したため、1974年7月場所前に引退して年寄・11代白玉を襲名したばかりの琴櫻が名跡変更し、同年7月に12代佐渡ヶ嶽を襲名して佐渡ヶ嶽部屋を継承した。12代佐渡ヶ嶽は精力的に弟子のスカウト活動に力を注ぎ、先代からの弟子である琴風を大関に育て上げたほか、関脇・琴富士や関脇・琴錦など幕内力士を数多く育て上げ、佐渡ヶ嶽部屋を大部屋へと成長させた。 12代佐渡ヶ嶽が2005年11月場所13日目(同年11月25日)に定年退職を迎えたため、12代佐渡ヶ嶽の娘婿である幕内・琴ノ若が同場所13日目の取組をもって現役を引退し、年寄・13代佐渡ヶ嶽を襲名して佐渡ヶ嶽部屋を継承した。直後に先代からの弟子である琴欧洲が大関へ昇進し、2007年には琴光喜が大関へ昇進した〔琴ノ若が途中で引退した理由は、力士や行司は部屋持ち師匠がいなければ土俵に上がれない規定で、師匠不在となる事態を回避するためのやむを得ない措置であった。しかし、13代佐渡ヶ嶽はまだ師匠として日が浅かったこともあり、琴欧洲・琴光喜の大関昇進伝達式には、12代佐渡ヶ嶽が特別に立ち会いを許された。〕。12代佐渡ヶ嶽は琴光喜の昇進伝達式に立ち会ったわずか20日後に13代佐渡ヶ嶽ら家族に看取られて病没した。 佐渡ヶ嶽部屋の所属力士は「琴」という1字が頭に付けられた四股名を名乗っているが、これは11代佐渡ヶ嶽の故郷である香川県観音寺市にある琴弾八幡宮に由来している。琴光喜が初土俵時に名乗った琴田宮など、本名で土俵に上がる場合でも本名の前に「琴」の字を付けて四股名を作ることが通例である。12代佐渡ヶ嶽からは「琴という字は今に王になるという意味だ」と伝えられた〔琴奨菊ポーズは「琴バウアー」に 思わぬ形で決着 日刊スポーツ 2016年2月16日〕。ただし、これは1975年あたりからで、それ以前は長谷川のように本名を名乗る力士や四股名に「琴」の付かない力士も多く存在した。部屋の中での呼称は「琴」の部分を省略される。 1965年1月場所から完全部屋別総当たり制度が導入されたが、その時点で幕内力士を出していた部屋の中で佐渡ヶ嶽部屋は唯一、現在に至るまで幕内力士を絶やしたことがない。また、関脇通算在位記録の1位と2位は2位タイの魁皇以外はみな佐渡ヶ嶽部屋の力士である(琴光喜・長谷川・琴錦功宗)。 2006年6月には琴欧洲を筆頭に13人の所属力士がイスラエル外務省の招きで同国を訪れ、親善相撲を行った。 なお、多くの関取を輩出しているが、引退後に分家独立した力士は尾車部屋を創設した琴風だけである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐渡ヶ嶽部屋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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