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佐田の富士 哲博(さだのふじ あきひろ、本名:山本 哲博(やまもと あきひろ)、1984年12月25日 - )は、長崎県南高来郡加津佐町(現在の南島原市)出身で境川部屋所属(入門時は中立部屋)の現役大相撲力士。愛称はコテツ。好物は刺身、ビール〔佐田の富士4日ぶり白星、前日ビール効果? nikkansports.com 2014年9月23日20時16分〕〔境川部屋ファンサイトの力士紹介 〕。 体格は身長190cm、体重208kg、血液型はB型。得意手は突き、押し。最高位は西前頭2枚目(2015年9月場所)。 弟は同じ境川部屋に所属する小浜海。横綱千代の富士以来の5文字四股名の幕内力士である。 ==来歴== 小学校5年生のときから柔道を始め、長崎県立小浜高校を卒業するまで柔道をしていた〔 元柔道少年、佐田の富士が新十両へ/初場所〕。小浜高柔道部は当時より部員が10人に満たず指導が厳格でない環境だったため、山本はこの環境を逆手にとって柔道の稽古をしないで筋トレを重ねることで大相撲の素養を育てていった。高校卒業後は恩師の勧めもあって中立部屋(現・境川部屋)に入門、2003年(平成15年)1月場所に本名である山本の四股名で初土俵を踏んだ。 同部屋同期には克の富士、城ノ龍がいる。 体格に恵まれていたものの三段目通過までに3年余りを要し、滑り出しは上々と言い切れなかった。三段目時代のある日に師匠と同じ長崎県出身者、いわゆる「クニモン」の弟子から関取が1人も出ていないことに気づき「自分は安易な気持ちでここへ来てしまったのだろうか」と思い悩んでいた。だがしかし、豪栄道のスピード出世や岩木山の好調ぶりを見ている内に「水を差すことも言っていられない」と立ち直り、それ以降は相撲に対する熱心さが増した。 2009年(平成21年)11月場所までは岩木山の付き人をしていたが、師匠の境川親方(小結・両国)が十両を目前に控えた佐田の富士を目にし、相撲に集中できるようにと配慮をして岩木山の付き人から外した〔 十両へ「一番、一番」 佐田の富士 大相撲初場所〕。2010年(平成22年)1月場所で2場所連続で6勝1敗の好成績をおさめ、翌3月場所での新十両昇進を決めた。長崎県出身からは出羽乃富士以来7年ぶりの関取誕生であり、境川部屋からは初めて長崎県出身者の関取が誕生した。 その後はしばらく低迷が続いていたが、2011年(平成23年)9月場所では東十両2枚目で8勝7敗と勝ち越し、翌11月場所で同部屋の妙義龍らと共に5人で新入幕。1年間幕内の座を守ったが、2012年11月場所では十両へ陥落。陥落した場所では14日目までで13勝1敗と格の違いを見せつけ、千秋楽の栃乃若との相星優勝決戦を制して十両優勝を果たしている。 2013年6月21日、境川部屋で行われた記者会見で東京都内の美容室に勤務する一般人女性との婚約を発表する。〔佐田の富士が婚約 来年2月に披露宴 MSN産経ニュース 2013.6.21 20:51 〕同年10月16日に入籍した。〔『相撲』2013年11月号55頁〕場所後の2月16日、東京都内で北の湖理事長ら530人が出席した中で結婚披露宴を行った。〔『相撲』2014年3月号32頁〕 2014年1月場所は場所後に挙式を控え、高校時代の恩師から「負け越したら式に出ない」と発奮を促されたが、その激励とは裏腹に6勝9敗の負け越しに甘んじた。〔『相撲』2014年2月号62頁〕2014年3月場所は初日から8連敗の不振で、最終的には2勝13敗の大敗。翌5月場所は2度目の十両陥落となった。3度目の十両陥落となった同年11月場所は中日まで4勝4敗と一進一退であったものの後半追い上げ10勝5敗の好成績を果たした。2015年1月7日第一子となる長女が誕生。当日の佐田の富士は朝稽古を終えてから夫人が入院している埼玉県内の病院に駆けつけたという。〔佐田の富士、第1子長女誕生 稽古終了後病院駆けつけ対面 Sponichi Annex 2015年1月8日 05:30 〕1月場所も無事8勝7敗の勝ち越しで終えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐田の富士哲博」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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