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佐竹 昌義(さたけ まさよし)は、平安時代後期の武将。清和源氏義光流、源義業(進士判官)の子。佐竹氏の祖。 嘉承元年(1106年)の常陸合戦の際には祖父の義光・父の義業、外祖父の大掾重幹とともに下野を地盤とする源義国と戦い、義国の勢力の常陸への浸透を防いだ。義国は足利氏・新田氏の祖であり、以降、両氏は下野・上野にそれぞれ勢力基盤を築いている。 昌義は父から継承した久慈郡佐竹郷を中心に勢力を拡張し、旧来から常陸国に土着していた小野崎氏などを屈服させ、奥常陸7郡の支配をさらに進めた。また、正室には奥州藤原氏の藤原清衡の娘を娶るなど、隣国の有力者との婚姻も結びその勢力基盤の確立に努めている。 保延6年(1140年)、佐竹寺において一節の竹を発見し、吉兆と喜び姓を佐竹と称したとする伝承がある。また、馬坂城・太田城を改修しそこを拠点としている。 昌義の子のうち長男の忠義(忠幹)は外曾祖父の平清幹が棟梁となっている大掾氏の後を継ぎ、佐竹氏は三男の隆義が継承した。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐竹昌義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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