翻訳と辞書
Words near each other
・ 佐竹義厚
・ 佐竹義命
・ 佐竹義和
・ 佐竹義堅
・ 佐竹義堅 (久保田新田藩主)
・ 佐竹義堅 (戦国武将)
・ 佐竹義堯
・ 佐竹義宣
・ 佐竹義宣 (伊予守)
・ 佐竹義宣 (右京大夫)
佐竹義寘
・ 佐竹義尚
・ 佐竹義尚 (北家)
・ 佐竹義尭
・ 佐竹義峯
・ 佐竹義幹
・ 佐竹義広
・ 佐竹義康
・ 佐竹義廉
・ 佐竹義忠


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

佐竹義寘 : ミニ英和和英辞書
佐竹義寘[さたけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

佐竹義寘 ( リダイレクト:佐竹義おき ) : ウィキペディア日本語版
佐竹義おき[さたけ よしおき]

佐竹 義寘(さたけ よしおき、寛永10年(1633年) - 寛文5年9月21日1665年10月29日))は、佐竹式部少輔家の初代。佐竹義隆の長男。生母は側室の多羅尾氏。弟に義処久保田藩主)、義慰義長(久保田新田藩(岩崎藩)主)、姉妹に黒田長興正室がいる。通称は所化丸、四郎三郎。官位は従五位下式部少輔。
久保田藩主佐竹義隆の長男であったものの、庶子のために嫡子になれず、本藩を継ぐことはできなかった。なお、一時期佐竹家中の蘆名家の旧臣から蘆名家を再興するための人物として候補に挙げられていた。慶安2年(1649年)6月20日、将軍徳川家光に拝謁する。承応3年(1654年)12月28日、従五位下式部少輔に叙任される。寛文5年(1665年)9月21日、33歳の若さで没した。後に長男の義都は、久保田新田藩を立藩した。
子孫は、義寘の官位から式部少輔家と称された。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐竹義おき」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.