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佐竹 義寘(さたけ よしおき、寛永10年(1633年) - 寛文5年9月21日(1665年10月29日))は、佐竹式部少輔家の初代。佐竹義隆の長男。生母は側室の多羅尾氏。弟に義処(久保田藩主)、義慰、義長(久保田新田藩(岩崎藩)主)、姉妹に黒田長興正室がいる。通称は所化丸、四郎三郎。官位は従五位下式部少輔。 久保田藩主佐竹義隆の長男であったものの、庶子のために嫡子になれず、本藩を継ぐことはできなかった。なお、一時期佐竹家中の蘆名家の旧臣から蘆名家を再興するための人物として候補に挙げられていた。慶安2年(1649年)6月20日、将軍徳川家光に拝謁する。承応3年(1654年)12月28日、従五位下式部少輔に叙任される。寛文5年(1665年)9月21日、33歳の若さで没した。後に長男の義都は、久保田新田藩を立藩した。 子孫は、義寘の官位から式部少輔家と称された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐竹義おき」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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