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佐竹義道 : ミニ英和和英辞書
佐竹義道[さたけ よしみち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

佐竹義道 : ウィキペディア日本語版
佐竹義道[さたけ よしみち]
佐竹 義道(さたけ よしみち、元禄14年(1701年) - 明和元年閏12月7日1765年1月27日))は、出羽秋田新田藩岩崎藩)の第2代藩主。父は秋田藩士佐竹義本。母は大納言広幡豊忠の養女。幼名は富千代。通称は源六郎、求馬。官位は従五位下壱岐守、和泉守。
正室は佐竹義長の娘・昆(明鏡院、死去)、継室は内藤政森の娘。子女は長男・佐竹義明、次男・佐竹義敏、三男・佐竹義忠、四男・佐竹義居(蜂須賀重喜)、娘(越前松平直道正室)の5人。
元禄14年(1701年)生まれとも、元禄16年(1703年)7月15日生まれとも言われている。享保2年(1717年)11月18日、秋田新田藩主佐竹義長の養子となる。義長の実子義峯は本家の秋田藩を継いでおり、分家の秋田新田藩の後継者を欠いていたためである。同年11月28日、将軍徳川吉宗御目見する。享保3年(1718年)9月6日、義長の隠居により家督を相続した。同年12月18日従五位下壱岐守に叙任する。享保17年(1732年)、駿府加番を命じられる。
江戸時代の講談などによれば、義道は野心家であり、本家の第6代藩主の義真を22歳で毒殺して(毒殺説は確実ではないが、かなり疑われている)秋田騒動を引き起こし、第7代藩主に長男の義明を擁立し、自らはその補佐役として実権を掌握したといわれている。
宝暦13年(1763年)5月14日、三男の義忠に岩崎藩主家の家督を譲って隠居し、翌年閏12月7日に死去した。享年64。法号は大仙院殿道安円成。墓所は東京都板橋区小豆沢の総泉寺。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐竹義道」の詳細全文を読む




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