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佐竹 義長(さたけ よしなが、明暦元年9月4日(1655年10月3日) - 元文5年12月7日(1741年1月23日))は、出羽岩崎藩の初代藩主。出羽久保田藩2代藩主佐竹義隆の四男として生まれた。母は佐竹義章の娘・光聚院。幼名は千代松丸、左近。初名は義知。官位は従五位下左近将監、壱岐守、兵部少輔。正室は相馬忠胤の娘(離婚)、継室は松浦鎮信の養女(松浦信忠の娘)。子は佐竹義峯(次男)、佐竹義道正室、明鏡院ら二男二女がある。 寛文8年(1668年)12月12日将軍徳川家綱に御目見する。寛文10年(1670年)12月28日従五位下左近将監に叙任する。元禄3年(1690年)、兄で久保田藩主の義処より2万石を分与された。元禄14年(1701年)2月11日幕府からも正式に支藩として公認されて、秋田新田藩(後の岩崎藩)は成立した。義長は文学に不学で、仁愛の無い暗君と称されている。元文5年(1740年)12月7日、86歳で死去し、跡を婿養子の義道が継いだ。法号は指月院殿空山宜弾。墓所は東京都板橋区小豆沢の総泉寺。 子孫は、義長の官位から壱岐守家とも称された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐竹義長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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