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佐薙毅 : ミニ英和和英辞書
佐薙毅[さなぎ さだむ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 

佐薙毅 : ウィキペディア日本語版
佐薙毅[さなぎ さだむ]

佐薙 毅(さなぎ さだむ、1901年明治34年)8月8日 - 1990年平成2年)3月14日)は、日本海軍軍人及び航空自衛官、第2代航空幕僚長。海軍の最終階級は海軍大佐。自衛隊の最終階級は空将
== 経歴 ==
1901年8月8日愛媛県新居浜市で教員の父佐薙喜志太のもとに生まれる。1919年大正8年)3月東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。1922年(大正11年)6月海軍兵学校50期卒業。
1923年(大正12年)9月海軍少尉1925年(大正14年)12月海軍中尉1926年(大正15年)3月第4期偵察学生。1927年昭和2年)12月海軍大尉1928年(昭和3年)4月霞ヶ浦海軍航空隊教官。12月アメリカ大使館付武官補佐官1931年(昭和6年)5月霞ヶ浦海軍航空隊教官。12月重巡洋艦妙高」乗組。
1932年(昭和7年)12月海軍大学校甲種第32期入校。1933年(昭和8年)11月海軍少佐1934年(昭和9年)7月海軍大学校甲種第32期卒業。11月水上機母艦神威」飛行長。1935年(昭和10年)6月海軍航空本部総務部員。1936年(昭和11年)9月第十一航空隊付。12月海軍省人事局付。1937年(昭和12年)12月人事局第1課局員。1938年(昭和13年)11月海軍中佐。12月第5艦隊参謀1939年(昭和14年)12月連合艦隊航空参謀。
1940年(昭和15年)11月軍令部第1部第1課部員。1941年太平洋戦争が始まる。1942年(昭和17年)6月軍令部第1部第1課作戦班長。1943年(昭和18年)5月海軍大佐。11月南東方面艦隊参謀兼第十一航空艦隊参謀兼第8方面軍参謀。1945年(昭和20年)南東方面艦隊首席参謀。
1945年8月終戦。1947年(昭和22年)7月復員。1954年7月航空自衛隊発足に伴い副長に就任。1956年(昭和31年)7月第2代航空幕僚長に就任。1957年FX次期戦闘機選定が始まる。当初防衛庁は次期戦闘機をロッキードF-104に内定したが、岸信介内閣成立後1958年1月佐薙は渡米しFX次期戦闘機の選定を実施して帰国後に報告書を提出し、1958年4月G-98J-11の採用を国防会議が内定した。しかし、G-98の内定に対して「汚職の疑いがある」「設計図だけの幽霊戦闘機(実機はまだ製作されていなかった)」との批判が起こり、佐薙らの事情聴取や証人喚問にまで発展し、白紙化する第1次FX問題が起こる。1959年(昭和34年)7月退官。
1970年(昭和45年)5月水交会会長(- 1974年5月)。
1971年(昭和46年)11月勲二等瑞宝章受章
1990年死去。義父に陸軍少将伊藤真鋒がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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