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佐藤ドミンゴ : ミニ英和和英辞書
佐藤ドミンゴ[さとう どみんご]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

佐藤ドミンゴ : ウィキペディア日本語版
佐藤ドミンゴ[さとう どみんご]

佐藤 ドミンゴ (さとう どみんご、本名:佐藤 俊明 さとう としあき、1970年1月9日 - )は、静岡県静岡市(旧・清水市)出身のラジオパーソナリティタレント大東文化大学外国語学部英語学科卒。ボイスルーム 所属。
== 来歴・人物 ==

静岡県立清水南高等学校の出身で同校の文化祭「南陵祭」では全校生徒対象の人気投票「Mr.南陵 Miss南陵コンテスト」の男性部門の1位「Mr.南陵」に輝くなど、当時から下級生には人気があったようである。
現在は主にラジオパーソナリティとして、FM-FUJIの夕方ワイド番組(「RADIO-izm」→「PUMP UP RADIO」)の金曜日パーソナリティを担当した。3年前から帯番組を離れ「KICK LOUD JAM」 で喋っている。2013年4月で、エフエム富士パーソナリティー14年目を迎え、リスナーから「ドミ兄さん」 「ドミ兄」 「ドミちゃん」等の愛称で人気を集めている。〔2010年12月の年末年越し特番の番宣(CM)では、PUMP UP RADIOで時々リスナーから言われていた「佐藤ドモンゴ」や「佐藤ドミゴン」の変わった名前で番宣をした時があった。〕
2011年途中までは東京に住んでいてFM-FUJI本社スタジオのある山梨へ通っていたが、結婚を機に山梨へ移住し1児の父親である。
2008年3月から2010年まで、Jリーグに所属する富山県のプロサッカークラブであるカターレ富山スタジアムDJを担当。
2008年8月には甲府市桜座にて初のソロライブ「佐藤ドミンゴ鑑賞会」(構成/演出 奥居俊二)を開催した。
2010年9月から2011年2月まで「PUMP UP RADIO 金曜」内「ドミンゴの国語 算数 理科 お寿司」のコーナーで、当初の内容は寿司職人の専門用語の解説(うんちく)が主で、商品開発・販売の予定は全く無かったが、生放送上で佐藤ドミンゴ自らオリジナル寿司を作りたいという熱意が若大将こと若鮨デリカフーズ社長に伝わって共同開発が始まり、リスナーからアイディア募集〔ドミンゴ本人の判断で優秀アイディアは松:若鮨食事券、竹:若鮨特製寿司酢 他、梅:若鮨特製寿司醤油、緑茶、ガリ の松竹梅ランク(ボツ(不採用)も含む)を決め、松竹梅該当ランクにはいずれかの商品をプレゼントしていた。〕・選定を行い、第1弾は2010年11月1日の「寿司の日」に合わせて販売するまでにたどり着いた。〔販売開始当日はドミンゴ本人が販売商品に関係する被り物を着て山梨県内の若鮨デリカ7店舗へ出向きオリジナル寿司の宣伝・販売を行い、途中GOOD DAYとPUMP UP RADIOの番組内で生中継リポートも伝えた。第3弾最終章はUSTREAM配信と専用アカウントでTwitterも行った。〕〔第3弾商品発売翌日の2011年2月4日放送で当コーナーが最終回になり、最終的にはほとんどがオリジナル商品開発が主で、寿司専門用語の解説(うんちく)は初回1回目の「あがり」の専門用語の1回しか放送しなかった。〕
販売当日の売り子としての被り物は、第1弾:魚【ドミン魚】、第2弾:鶏【ドミこっこ】、第3弾:ラムちゃん(うる星やつら)【ドムちゃん】の仮装をした。
コーナー最終回の翌週の放送に若大将(若鮨専務(若鮨デリカ社長兼務))から特別に名刺を作成してもらったが、役職が「最高顧問」ではなく「最低顧問」で、『株式会社若鮨 最低顧問 佐藤ドミンゴ』と印刷され、従業員より低い役職になっていた。
2011年4月の番組改編より平日夕方枠の「PUMP UP RADIO」から金曜のみ切り離され、「KICK LOUD JAM」がスタートした。
金曜19時枠に放送されていた「FROM BACK STAGE(DJ:QWAI)」が2011年12月で終了に伴い、2012年1月より4時間枠に拡大した。
「ドミンゴの国語 算数 理科 お寿司」の続編として、「ドミンゴの国語 算数 理科 お寿司~お寿司は永遠に不滅です~」とコーナータイトルを改めて復活し、廻転寿司GURUWAKAの店頭でマグロ解体ショーのイベント企画、第4弾のオリジナル寿司を企画・販売をした。(この時の売り子仮装は七福神の福禄寿【ドミ禄寿】であった。)〔当日、GOOD DAYの番組中で中継があり、福禄寿の仮装をしたドミンゴに対して番組DJの野村富美江が『ジジイ』とあだ名を勝手に付けてしまい、夕方からの「KICK LOUD JAM」のオンエア中も番組宛に送られてきたメッセージでドミンゴのことを「ジジイ」と言ってくるリスナーが出てきた。〕
2012年に「KICK LOUD JAM」内でドミンゴ本人が知人から貰った半球型のお菓子が美味しかったことをオンエア上で言っていたが、そのお菓子の名前と売っている場所を忘れて、リスナーからのメッセージで「米コロン」の名前で台ヶ原金精軒に売っていることがわかり、店舗へ行ったが売り切れだったため、リスナーからのメッセージの中に台ヶ原金精軒の社長からのメッセージが来ていたのもあって、アポ無しで台ヶ原金精軒の社長へ電話をしたことがきっかけで、翌週にはドミンゴの一方的な計画の無い持ちかけで「ドミンゴの甘えてんじゃないよ!」の商品開発の企画コーナーがスタートした。〔商品名は「こけぇこーし」で、試作品は6種類、改良の意見をリスナーから聞くためにドミンゴ本人とリスナーからの試食会開催の要望が多数来ていたため2012年6月7日にリスナー代表10名を招いて試食会が開催されることとなったが、会場と開催時間が決まっておらすに番組スタッフは場所探しにオンエア中は慌てていたが、エフエム富士の社長のご好意で本社サロン(本社スタジオAの裏側)を貸し出してくれる事になった。〕
毎週、生放送中に下ネタ発言が多すぎてFM-FUJI放送部長から厳重注意されて以降、リスナーからの下ネタを含んだメッセージが来ても下ネタを極力発言しないようにしている。〔2012年8月の放送の時に本人が明かしている。〕〔2013年1月4日の放送で、放送部長の奥さんが「ドミンゴさんは普通に話したほうが良い」という意見でなったと本人が弁解している。〕
2013年1月18日の放送では、ドミンゴ本人が奥さんに朝食と夕食は作ってくれるが、昼食だけは作ってくれない。ウチは学生寮。とぼやいていた。リスナーからは鬼嫁と言わせるように誘導するメッセージが来ている。
2014年10月31日の放送では、笑いを取るために冗談のつもりで「エフエム富士はブラック企業」などと放送事故になりうることを生放送上で言っていたが、たまたま聞いていたエフエム富士の社長が驚いでスタジオAまで来てドミンゴ本人はすぐに土下座して謝って、曲が終わったあとに「エフエム富士はブラック企業ではありません。健全な会社です。」と訂正の放送をした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐藤ドミンゴ」の詳細全文を読む




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