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佐藤 與三(さとう よぞう、1843年(天保14年)8月〔「群馬県所属官吏明治二十五年四月一日現員調書」〕 - 没年不詳)は、明治期の商工官僚。官選群馬県知事。 ==経歴== 長門国阿武郡萩平安湖町(現萩市)に生まれる〔『群馬県人名大事典』241頁。〕。 明治5年(1872年)工部省五等出仕に任官。さらに鉄道助・燈台権守を務めた。1873年、燈台頭に昇進。以後、工部大書記官として、鉱山権頭、鉱山局長、内国勧業博覧会審査部長、工作局長、総務局鉱山課長、品川硝子製造所長、参事院員外議官補などを歴任〔。 1884年7月30日、群馬県令に就任〔『官報』第4639号、明治31年12月15日。〕。1886年7月19日、地方官官制改正に伴い同県知事となる。明治21年(1888年)6月限りで廃止とされた公娼について、同年5月に廃娼延期令を発布し、世論の反発を受けて廃止の期限を限るなどの妥協を行うが、県会から辞職を迫られ議会解散を行う。しかしその結果は解散前とほぼ同じ大勢となり、1891年の臨時県会で知事辞職勧告が可決された〔『新編日本の歴代知事』283頁。〕。そのため、同年4月9日、知事を非職となる〔『官報』第2330号、明治24年4月10日。〕。1893年2月21日、依願免本官〔『官報』第2892号、明治26年2月22日。〕(諭旨退官〔「非職群馬県知事佐藤与三依願本官被免ノ件」〕)となり退官した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤與三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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