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佐藤 佐太郎(さとう さたろう、1909年(明治42年)11月13日 - 1987年(昭和62年)8月8日)は、日本の歌人。日本芸術院会員。妻の佐藤志満も歌人。 == 略歴 == 宮城県柴田郡大河原町出身。幼少期に茨城県多賀郡平潟町(現・北茨城市)に移る。 平潟尋常高等小学校卒業後、兄を頼って上京し、1925年岩波書店入社。1926年アララギに入会し、斎藤茂吉に師事。アララギ派の写実主義を受け継ぎながらも、純粋短歌論に基づく抒情性に富んだ新しい歌風をきりひらいた。1940年、合同歌集『新風十人』(八雲書林)に参加〔参加者は、佐藤佐太郎のほかに、筏井嘉一、加藤将之、五島美代子、斎藤史、館山一子、常見千香夫、坪野哲久、福田栄一、前川佐美雄。また、1998年に石川書房より文庫版が刊行された。〕。1945年、岩波書店を退社、歌誌「歩道」を創刊。歌人としての活動に加え、斎藤茂吉研究、長塚節研究、歌論書、短歌入門書、随筆、書画集など多くの著書を残した。終生、斎藤茂吉を師と仰ぐとともに、晩年には中国の詩人、取り分け蘇軾に傾倒した。1983年、日本芸術院会員。作家活動のかたわら多くの優れた歌人を育成した。初期の弟子に、長澤一作、山本成雄、由谷一郎、川島喜代詩、尾崎左永子、中期の弟子に福田柳太郎、黒田淑子、秋葉四郎、山上次郎、板宮清治、菊澤研一、晩年の弟子に室積純夫、鵜飼康東、佐保田芳訓などがいる。 角川書店の出版第1号は佐太郎の歌集『歩道』であった〔「社史-文芸出版社の時代(1945年~1975年) 」 角川グループホールディングス。なお、歌集『歩道』の初版は1940年に八雲書林から刊行されている。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤佐太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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