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佐藤 友亮(さとう ともあき、1978年6月13日 - )は、神奈川県藤沢市出身の日本の元プロ野球選手(外野手、内野手)。血液型はO型。通称「グラウンドの諸葛亮孔明」。 == 経歴 == ===プロ入り前=== 小学校4年の時に内野手として野球を始め、主に一塁手としてプレーする。中学校の入学と同時に投手に転向した。 慶應義塾高等学校ではエース投手として活躍、一般受験では首都圏の私立高等学校でトップレベルの難関である同校に合格した。同校には推薦入試もあるが、開始されたのは2003年である。佐藤も野球の傍らで1日10時間も勉強を行っていた。2年の夏の神奈川大会では決勝戦まで進出するも、惜しくも日本大学藤沢高等学校に敗れ全国大会出場を逃してしまった。また、この時は非常に珍しい「1番・投手」であった〔『プロ野球人名事典 2003』(2003年、日外アソシエーツ)、P.254〕。 慶應義塾大学では1年の春に内野手と投手を務めた。1年の秋には外野手に転向し、主に中堅手としてプレーする。2年の春には首位打者の座を獲得。4年の春までは1番を打ち、4年の秋には打順を5番に変更してリーグ優勝に貢献した。リーグ通算成績は77試合出場、298打数、87安打、打率.292、2本塁打、22打点、48盗塁。東京六大学リーグ時代に和田毅から2試合連続先頭打者二塁打を打つなど、和田とは相性が抜群で、佐藤はプロ入り後も和田を得意としていた。慶應義塾大学の卒業必要単位を3年終了時に取得していたなど、文武両道を地で行く秀才であった。プロ入り直後の2001年の2月のキャンプの紅白試合で活躍した際には「プロ野球選手にならなければ弁護士を目指していました。」というコメントが話題になった。2000年のドラフト会議で西武ライオンズに4位で指名され、外野手として西武に入団し念願のプロ入りを果たした。背番号は「30」に決まった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤友亮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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