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佐藤 房隆(さとう ふさたか、1869年2月15日(明治2年1月5日〔『福島誌上県人会』「佐藤房隆」〕) – 1927年(昭和2年)2月16日)は、日本の陸軍軍人。日露戦争では近衛歩兵第三連隊第一大隊長として戦い、のち歩兵第六十六連隊長を務めた陸軍少将である。 ==生涯== ===日露戦争まで=== 父は会津藩藩士佐藤房郁である。佐藤家は斗南移住後に上京。房郁は警察官から憲兵となり〔『明治過去帳』(東京美術)456頁〕、東京憲兵隊小隊長〔『改正官員録 上』(明治17年出版付録)73頁〕などを務め、憲兵大尉まで昇進した〔(Ref.A10110536800、叙位裁可書・明治二十八年・叙位巻六 国立公文書館)〕。佐藤は幼年期を斗南で過ごした後、近藤塾に学ぶ〔『会津会会報第三十号』「佐藤房隆氏の逝去」〕。幼年学校を経て士官学校へ進み、1期を卒業。佐藤の兵科は歩兵で、1889年(明治22年)に歩兵少尉へ任官した。同期生に教導団出身の両角三郎、長谷川戍吉がおり、杉浦小八(工兵大佐)は義弟〔(Ref.C07050899700、明治32年「伍大日記 5月」 防衛省防衛研究所)〕である。中尉で日清戦争を迎え旅順口の戦い、海城、田荘台と歴戦した〔*>日清戦争直前には第一師団の中隊長代理を務めていた(JACAR Ref C07070870000)。戦時の所属部隊については資料がないが、佐藤の戦歴は第一師団と同様である。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤房隆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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