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佐藤正男 : ミニ英和和英辞書
佐藤正男[さとう まさお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 

佐藤正男 : ウィキペディア日本語版
佐藤正男[さとう まさお]
佐藤 正男(さとう まさお、1963年3月 - )は、日本のキックボクサー日本キックボクシング連盟第3代日本ライト級王者。渡邉キックボクシングジム所属。トレーナー。法政大学法学部卒業。山形県酒田市出身。
== 人物・来歴 ==
幼少の頃より、中国拳法空手柔道を学び、20歳の時に東孝率いる空手道大道塾総本部(現・NPO法人国際空道連盟・全日本空道連盟大道塾)に入門。 その後、国際式ボクシング帝拳ジムに入門。当時トレーナーであった元世界スーパーフェザー級王者小林弘(現・TIKYOH小林ボクシングジム会長)の指導を受ける。
1984年4月、タイ国技ムエタイ史上初の外国人王者に君臨した藤原敏男(現・藤原スポーツジム会長)を輩出した日本格闘術連盟総帥・黒崎健時率いる新格闘術黒崎道場に入門。1986年6月、新格闘術ライト級として千葉公園体育館にて2RKO勝利しプロデビューを果たす。 また、本場タイ国へムエタイ修業に渡り、ハーパランジム等で当時ムエタイ史上最強といわれたライト級王者ディーゼルノイ・チョータナスカンや、後のムエタイ史上初7階級制覇王者チャモアペット・チョーチャモアン(現・チャモアペット・ムエタイ・アカデミー会長)らと練習を共にする。
1988年4月、須田達史(現・NPO法人Kリーグ・インターナショナルネットワークス理事長)の紹介により、日本格闘術連盟と友好関係にあった日本キックボクシング連盟代表理事渡邉信久率いる渡邉ジムに移籍。移籍後はライト級キックボクサーとしてリングに上がり、連戦連勝を続けその勢いで本場ムエタイ戦士にも勝利。また、ライト級だけにとどまらず、ウェルター級、ミドル級とも対戦し勝利する。しかし、かつてあのムエタイライト級王者サガット・ペチンディーにも勝利した事もあるという、元ムエタイ3階級制覇王者ケンカート・シットサーイと対戦するも判定負け。本場国技ムエタイの強さと奥深さを改めて痛感する。
1991年4月27日、後楽園ホールにて日本ライト級王者酒井敏文とのタイトルマッチで判定勝利し、第3代日本ライト級王座を獲得。 王座獲得後第1戦目では、ムエタイ強豪アナン・チャンティップ(現・タイ国ムエタイプロモーター)と対戦するが判定負け。
1992年5月、伊原信一(現・新日本キックボクシング協会代表)率いる伊原道場が日本キックボクシング連盟に加盟していた頃、伊原信一主導での世界大戦シリーズを挙行しており、その年は、香港クィーンエリザベスで香港ウェルター級王者簡亮と対戦。互いにダウンの応酬の末、結果はドロー。日本選手団メインイベンターとして一応の面目を保つ。
1992年10月、元ムエタイフェザー級王者ルーラウィー・サラウィティーと対戦し判定負け。しかし日本キック連盟においては無敵無敗を誇り、数度の日本タイトル防衛戦を行う。ラストファイトは1993年の団体交流頂上対決での判定勝利。1994年4月9日31歳、後楽園ホールにて同タイトルを返上し引退式を行う。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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