|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 佐 : [さ] 【名詞】 1. help ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 正 : [ただし, せい, しょう] 【名詞】 1. (logical) true 2. regular ・ 雄 : [おす] 【名詞】 1. male (animal)
佐藤 正雄(さとう まさお、1948年1月1日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) に所属する調教師、元騎手。 騎手時代にニシノフラワーで1991年の阪神3歳牝馬ステークスなどに優勝。1993年に引退し、調教助手を経て1997年より調教師となる。おもな管理馬に2012年のJBCクラシック優勝馬ワンダーアキュートなどがいる。 == 経歴 == 岩手県出身。中学校卒業後、北海道襟裳町の田中牧場に就職。のちに京都競馬場所属の調教師・加藤清一の勧めを受け〔、1964年に騎手候補生として加藤厩舎へ入門。1969年3月8日に騎手としてデビューし、騎乗馬オックスドールで初騎乗初勝利を挙げた。以後長らく目立った成績がなかったが、1991年、当時所属していた松田正弘厩舎にニシノフラワーが入ると同馬の主戦騎手を任され、2戦目に札幌3歳ステークスに勝利。デビュー23年目にして重賞初勝利を挙げた。騎乗停止中だった3戦目のデイリー杯3歳ステークスには騎乗できなかったが〔田原成貴が騎乗して勝利。〕、3歳女王戦・阪神3歳牝馬ステークスで鞍上に戻ると、1番人気に応えて優勝しGI初制覇を果たした。 しかし、ニシノフラワーの4歳初戦・チューリップ賞(桜花賞トライアル)で、単勝オッズ1.2倍という人気を背負いながら最終コーナーで他馬に囲まれ要所での進路を失い、2着と敗れる。この結果に「桜花賞に乗るのは荷が重い」と自省した佐藤は、競走から2日後、松田に対しニシノフラワーの騎手交代を自ら打診し、新たな鞍上として関西のトップ騎手・河内洋を確保したのち降板〔『優駿』1998年6月号、pp.88-89〕。その後ニシノフラワーの鞍上に戻ることなく、翌1993年に騎手を引退した。通算成績は2732戦208勝、うち重賞2勝。なお、ニシノフラワーは河内とのコンビで桜花賞と年末のスプリンターズステークスを制した。佐藤は毎年チューリップ賞の時期になるとこの思い出が頭をよぎるといい、「一生(この後遺症が)私について回るでしょうねえ」「調教師としてチューリップ賞を勝ったとき、初めて解放されるかもしれませんね」と語っている〔。 騎手引退後は松田厩舎で調教助手を務めたのち、1997年に調教師免許を取得。1999年より栗東トレーニングセンターで厩舎を開業した。2001年、川村禎彦厩舎から移籍してきたタマモストロングがかしわ記念〔JpnI昇格前。〕を制し、調教師として重賞初勝利。2012年にはワンダーアキュートがJBCクラシックを制し、開業14年目でGI級(JpnI)競走初制覇を果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐藤正雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|