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佐藤氏 : ミニ英和和英辞書
佐藤氏[さとうし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
藤氏 : [とうし]
 (n) Fujiwara family
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

佐藤氏 : ウィキペディア日本語版
佐藤氏[さとうし]
佐藤氏(さとうし)は、日本の氏族藤原秀郷をその源流とする。その由来は、左衛門尉の藤原氏の略とされる他、佐野の藤原氏、佐渡の藤原氏等の諸説がある〔太田亮著、佐藤大和上田萬年三上参次監修『姓氏家系大辞典 第2巻』(角川書店、1934年)2622頁参照。〕。
== 陸奥国の佐藤氏 ==

=== 信夫佐藤氏 ===
信夫佐藤氏(しのぶさとうし)は、藤原秀郷の子千常を始祖とすると言われ、公清佐渡の守に任じられたことにより「佐渡」の「藤原」ということで佐藤を名乗った。あるいは、藤原の出自で藤原氏の補佐の意味「佐・(すけ)」で佐藤とも。信夫佐藤とは、他の佐藤氏と区別する際、信夫地方福島県福島市)を出自本拠地としたことによる一般呼称で、自ら「信夫佐藤」と称していたということはない。
源義経の郎党として治承・寿永の乱で活躍した佐藤継信佐藤忠信兄弟もこの佐藤氏の出身で、その父佐藤基治(元治)は信夫(福島県福島市)飯坂温泉付近に荘園を所領し信夫荘司・湯荘司と称したといわれる。佐藤基治の妻(乙和子姫・佐藤兄弟の母)は藤原清衡の孫に当たり、その縁で奥州藤原氏の一族として源頼朝奥州討伐の際、石那坂に陣を敷き防戦した〔太田亮前掲書(角川書店、1934年)2625頁、2626頁参照。〕。
その後、佐藤氏は赦されて信夫(福島県福島市)の地に命脈を保っていたが、南北朝期伊勢へ移住する。一部が故地・信夫周辺で生き残り、相馬氏佐竹氏に仕え、幕末には陸奥白河藩の代官となっていた。医王寺や、舘の山公園・(大鳥城・福島市)に佐藤氏の遺跡が残存する〔太田亮前掲書(角川書店、1934年)2626頁、2627頁参照。〕。
戦後昭和期の首相岸信介佐藤栄作兄弟を輩出した長州藩士の佐藤家も、信夫佐藤氏の子孫を自称している〔山田栄三著『正伝 佐藤栄作(上)』15頁に「佐藤家の祖は、およそ三百年さかのぼることができる。それ以前は、源義経の家臣佐藤忠信に発する、という口伝がある。もちろん信ずべき証はない。ただ佐藤の本家に生れ、あとで栄作と縁組することになる寛子は“子供のころから、浄瑠璃狐忠信の忠信は先祖と聞かされて”いる。義経千本桜四段目で狐の化けた忠信が静御前を守護する。この忠信は源氏車家紋をつけた衣装で舞う。佐藤家の紋所もまた同じ源氏車である」とある〕。
各地に子孫を残し、それぞれ諸家に古系図が現存する。なお、佐藤氏の本拠地の福島市飯坂では、医王寺に於ける佐藤一族の法要の主催者を家の当主(佐半殿と呼称)としている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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