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佐藤翔治 : ミニ英和和英辞書
佐藤翔治[さとう しょうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

佐藤翔治 : ウィキペディア日本語版
佐藤翔治[さとう しょうじ]

佐藤 翔治(さとう しょうじ、1982年9月19日 - )は、NTT東日本バドミントン部所属の元男子バドミントン選手。東京都東村山市出身。右利き。身長168cm、体重60kg。血液型A型。
== 経歴 ==
元バドミントン選手だった父親の影響を受け幼少時からラケットを握り、小学3年生の時に小平ジュニアバドミントンクラブ入団。早くもその才能を開花させ、1994年に全国小学生選手権で全国初優勝。1997年には全国中学生大会の優勝も飾る。
1999年、関東第一高等学校2年にして高校総体の男子シングルス優勝。翌年高校3年のインターハイでは男子シングルス及びダブルス、そして団体の全てを制し三冠を達成する。当時のダブルスパートナーは現在トナミ運輸に所属し、ナショナルメンバーにも選出されている佐々木翔。当時、超高校級の2人を擁する関東一高は圧倒的な強さで各タイトルを獲り、シングルスの準決勝での川前直樹選手とは接戦になることもあったが、まさに黄金期であった。
2001年、佐々木とともに富士短期大学に進学。2002年には全日本学生選手権男子シングルス優勝。
2003年、MMGアローズ(旧フジチュー)入社。同年には全日本総合選手権男子シングルスで初優勝し、前人未到の全世代優勝を達成した(以降2006年までシングルス4連覇)。
2004年、アテネオリンピックの男子シングルス日本代表として、五輪初出場。
2005年、実業団チームのNTT東日本に移籍。同年の全英オープンでは日本人選手(男子)として30年ぶりにベスト8進出。以後、2007年まで3年連続でベスト8入賞。
2006年、トマス杯(国別対抗世界選手権)準々決勝にて、日本チームは敗れたものの、シングルスでアテネオリンピックの男子シングルス金メダリストでインドネシアのエースである世界ランク上位のタウフィック・ヒダヤットをファイナルゲームの激闘の末に破るという快挙を成し遂げた。
2008年、北京オリンピックに男子シングルス日本代表として出場。初戦の2回戦は勝利したが、3回戦でピーター・ゲードにゲームカウント1-2で敗れ、ベスト16に留まった。
2008年の全日本総合選手権以前は国内ではシングルス及びダブルス、海外では主にシングルス選手として活躍していたが、同大会男子シングルス準優勝以降はシングルス日本代表を辞退。
2009年、前述のとおりシングルスの日本代表を辞退したため、国際大会のシングルスに出場することはないが(例外として2010年にマレーシアで開催された国別対抗団体戦のトマス杯でシングルスの試合に出場し32年ぶりのベスト4入りに貢献している。)、国内の試合ではシングルスにも出場している。全日本社会人選手権ではダブルスは5位に終わったものの、シングルスでは優勝を飾るなど、ダブルス転向後もシングルスの実力は健在である。
同僚の川前直樹とペアを組んでいる男子ダブルス、及び、2011年から松尾静香パナソニック)とペアを組んでいる混合ダブルスでの2012年のロンドンオリンピック出場を目指した。平田典靖橋本博且ペア(トナミ運輸)、早川賢一遠藤大由ペア(日本ユニシス)との熾烈な出場権獲得争いの結果、男子ダブルスの出場権を獲得。日本のバドミントン選手でオリンピック3大会出場を果たしたのは舛田圭太に続いて2人目。
2012年末を以って現役を引退し、その翌年より日本代表ナショナルチーム女子シングルスコーチを務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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