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佐貫石仏(さぬきせきぶつ)は、栃木県塩谷郡塩谷町佐貫にある大日如来の磨崖仏である。凝灰岩の山肌に線刻された仏像で風化が甚だしいが、像高60尺の巨大石仏のひとつとして1926年(大正15年2月24日)に国の史跡に指定されている。観音岩と呼ばれる大岩に線刻された佐貫石仏の尊像は、その洞窟内に奉安され観音岩の呼称の由来ともなった観音菩薩像と合わせて、一般的に佐貫観音と呼ばれることがあるが、本磨崖仏は大日如来坐像であり史跡名も佐貫石仏とされている。観音菩薩像については佐貫観音院の項を参照のこと。 == 概要 == 伝承によると、佐貫石仏の造立時期は、奈良時代説、平安時代説、鎌倉時代説とその年代に幅があり、直接的な史料が無いためいずれが正しいとも不詳である。近年では平安時代末期から鎌倉時代の作と推定されている。一方、当地区の旧家が蔵する古文書によると、唐から帰国した弘法大師が807年(大同2年)にこの地を訪れ、自らの念持仏をこの大岩に奉安し、讃岐国多度郡の領主であった藤原富正の子富治の願いにより一夜にして壁面に大日如来の坐像を刻んだものとされる。貴重な巨大石造のひとつと認められて1926年(大正15年)2月24日付けで国の史跡に指定されている。 石仏は像高が18.2メートル、顔の長さが3メートル、顔の幅が1.64メートルと云われ、また宝冠を戴き智挙印を結び八枚の蓮華台に座すると言われるが、線刻のため、また石質が脆い凝灰岩であることから、近年では風雨および草苔による欠失や壁面劣化が甚だしく、その全容を認識するのは困難となっている。これについては、古代遺跡の維持管理に関する問題としても注目されている。 現在、佐貫観音院は東海寺の別院となっており、本石仏も同様に東海寺の管理下にあるが、江戸時代まではこの寺域は慈眼寺が別当寺であり、慈眼寺の管理の元で繁栄してきたが、明治時代の廃仏毀釈で慈眼寺が廃寺となると、本石仏も衰微した。 2015年3月15日に奥の院が136年ぶりに開帳された〔読売新聞 2015年3月16日掲載。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐貫石仏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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