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佐野 一彦(さの かずひこ、1952年 - 2011年)は、日本のイラストレーター。全米のトップ・イラストレーターに15年連続選ばれており、1983年の映画『スター・ウォーズ ジェタイの復讐』の"Style B"ポスター(こちら )を手掛けた。 == 略歴 == * 1952年 - 東京都港区に生まれる。 * 1965年 - 東京教育大学附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。 * 1971年 - 東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業後、デッサン、油絵を勉強する。 *: 高校の同期には、石田徹(元資源エネルギー庁長官)、井上和雄(元衆議院議員)、川又雄二郎(数学者)、越澤明(都市工学者)、津田真男(モスクワオリンピック・シングルスカル日本代表)、林己知夫(建築家)、村上誠一郎(衆議院議員)などがいた。 * 1975年 - 米国カリフォルニア州サンフランシスコのアカデミー・オブ・アートカレッジに入学、イラストレーションを学ぶ。 * 1977年 - 同校の奨学金コンテストで一位になり、メリット・スカラーシップを受け、同年、学士号を取得する。 * また、この年、永住権申請に必要なスポンサーを見つけ、1978年、グリーンカードの申請を開始、少しずつ仕事を始め、アカデミーで大学院のコースを取る。サンフランシスコにてグループ展。 * 1981年 - 修士号を取得し、またグリーンカードも獲得。フリーランスのイラストレーターとして出発する。サンフランシスコにてグループ展。 * 1983年 - 映画スター・ウォーズ ジェタイの復讐のポスター制作を手懸ける。 * また、この年、ニューヨークのイラストレーター協会に作品が初めて入選。この年よりアカデミー・オブ・アート・カレッジの講師を務める。 * 1986年 - サンフランシスコの市バスに同市の歴史の絵を描く。サンフランシスコにてグループ展。 * 1988年 - 映画ポスター“ガラスの動物園”で、ハリウッド・リポーター誌主催Key Art賞 受賞。 * 1990年 - “ダイアグノスティック・ウィザードリイ”(ロサンゼルス・タイムズ)でPrint誌主催リージョナル賞 受賞。“パイオニアズ”(ロサンゼルス・タイムズ)でGraphic Design誌主催USA・DESl賞 受賞。 * 1991年 - サンフランシスコ・イラストレーター協会から“レリック”でゴールド・メダル賞 受賞。サンフランシスコにてグループ展。 * 1992年 - 新潮社の“スカーレット”の表紙を描く。映画ポスター“At Play in the Fields of the Lord”でArt Direction誌主催 Creativity賞 受賞。東京にて偉大なるコマーシャルアート展。 * 1994年 - ロサンジェルス・イラストレーター協会からパトリック・ネイグル賞(最優秀作家賞)受賞。 * 1996年 - ニューヨーク・イラストレーター協会にて個展。“スター・ウォーズ・トリロジー”のプロモーションの仕事を手懸ける。 * 1997年 - アメリカ郵政省の記念切手プロジェクト「セレブレート・ザ・センチュリー」に着手。 * 1998年 - ナショナル・ジオグラフィック誌の“デボン紀”の仕事に着手。 * 1999年 - ナショナル・ジオグラフィックの“OH-62”復元のチームのメンバーに選ばれる。イラストレーター協会から第42回アニュアル・エキシビションの審査員を任される。ミル・バレー市のアートコミッティー(美術委員会)のメンバーになる。アメリカの“1970年代”の切手が発行される。ナショナル・ジオグラフィック誌に描いた“デボン紀の魚と両生類”がアート・オブ・ナショナル・ジオグラフィック/センチュリー・オブ・イラストレーションに選ばれNational Geographic Societyより出版される。 * 2000年 - “アート・オブ・ナショナル・ジオグラフィック/センチュリー・オブ・イラストレーション”展“プッシング・ザ・エンヴェロープ/アメリカ切手展”に作品が選ばれる。日本での初来日個展を開催。初のジクレー作品をガレリア・プロバより発表。 * 2011年 - 5月末に癌のため死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐野一彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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