|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 佐 : [さ] 【名詞】 1. help ・ 野 : [の] 【名詞】 1. field ・ 優 : [ゆう] 1. (adj-na,n) actor 2. superiority 3. gentleness ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
佐野 優子(さの ゆうこ、女性、1979年7月26日 - )は、日本の元バレーボール選手。ニックネームはリョウ(タレントの佐野量子から)。引退前の2015年からケイブロス(川合俊一が代表の事務所)に所属〔佐野 優子 K.bros〕。 == 来歴 == 大阪府高槻市出身。小学校4年生の時バレーボールを始め、1991年全日本バレーボール小学生大会に出場。中学時代には、さわやか杯に出場。京都府立北嵯峨高校では、インターハイに出場し3位・優秀選手に輝く。 1998年、ユニチカに入社。2000年、ユニチカの廃部でチームごと東レに移籍。2002年、全日本代表初選出。同年世界選手権に出場。2002-03年第9回Vリーグでサーブレシーブ賞、ベストリベロ賞を受賞し中心選手として活躍していたが、2003年8月、移籍同意書が得られないまま東レを退社。規定で移籍してもリーグ戦に出場できない状態となり、同年11月のワールドカップにはJVA所属として出場した。 2004年アテネオリンピック・世界最終予選直前に代表メンバーから外れ、アテネオリンピックに出場できなかった。2004年5月、フランスリーグのRCカンヌに入団。2シーズン在籍し、2005-2006年の欧州チャンピオンズリーグではベストリベロ賞を受賞した。 2006年6月、久光製薬スプリングスに入団。2007年、2006-07Vプレミアリーグで久光のリーグ優勝に貢献し、ベストリベロ賞を受賞。日韓Vリーグトップマッチ、第56回黒鷲旗大会との公式戦3冠に大きく貢献した。 2007年、全日本に復帰。同年開催のワールドカップに出場し、ベストレシーバー賞・ベストディガー賞を受賞。2008年、2007-08プレミアリーグでサーブレシーブ賞、ベストリベロ賞を受賞した。同年8月、北京オリンピックに出場。2008-09Vプレミアリーグで準優勝し、敢闘賞、ベストリベロ賞、サーブレシーブ賞に輝いた。 2009年、平成21年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会で初優勝に大きく貢献した。同年12月24日、自身のオフィシャルブログオープン。 2010年7月、久光製薬を退団。2010年8月、アゼルバイジャン1部リーグのイトゥサチ・バクーに移籍。同年開催の世界選手権に出場し、銅メダルを獲得。 2011年のワールドカップでベストディガー部門1位、ベストリベロ部門2位に入る活躍でブラジル、アメリカ撃破の原動力となった。 2012年6月、ロンドンオリンピックの代表メンバーに選出された。佐野自身は2大会連続出場で、女子バレーボールではロサンゼルスオリンピック(1984年)以来28年振りとなる全日本のメダル(銅メダル)獲得に貢献した。 同年11月からトルコリーグの強豪であるガラタサライに移籍。ただし欧州チャンピオンズリーグのみの契約であった。 2013年3月、欧州チャンピオンズリーグにて、木村沙織の移籍先であるワクフバンクと対戦し、惜しくも敗退した。同シーズンでベストレシーバー賞を受賞した。 2013年シーズン終了後の4月26日、新シーズンよりスイスのヴォレロ・チューリッヒに移籍することを発表した〔リベロの佐野優子がチューリヒ移籍 日刊スポーツ 2013年4月26日閲覧〕。 2014年1月、デンソーは佐野の入団を発表した。同年4月、日本代表にアシスタントコーチ兼任として復帰し、同年8月に開催されたワールドグランプリでは全日本チーム初となる銀メダル獲得に大きく貢献し、MVPならびにベストリベロ賞を獲得した。同年9月の世界選手権は体調不良のため不参加となった。 2015年5月、黒鷲旗大会を最後に現役を引退することが発表された〔〕。8月のワールドカップでは試合会場のゲスト解説者としてテレビ中継番組に出演した〔【女子バレー】元全日本リベロ佐野優子が語る「リオでメダル」の可能性 - スポルティーバ、2015年8月27日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐野優子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|