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佐野 元国(さの もとくに、1958年3月6日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球指導者。父親がギリシャ人で、までの登録名は佐野クリスト。 == 来歴・人物 == 横浜高校から1977年のドラフト3位で近鉄バファローズに入団。チームが初のリーグ優勝を果たしたに初めて一軍に昇格した。二軍では守備以外にも、にウエスタン・リーグにおいて本塁打王と打点王の二冠を獲得するなど地力はあったが、梨田昌孝、有田修三といった捕手陣が全盛期だったため出場機会に恵まれず二軍暮らしが続いた。 に島貫省一との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。当初は山倉和博に続く2番手の捕手として期待されていたが、4月5日に水戸で行われた大洋とのオープン戦の5回に本塁上で走者の若菜嘉晴に左脚大腿部をスパイクされ7針の皮下裂創を負い退場し、その12日後の阪神戦で槙原寛己とバッテリーを組んだ際、ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布のクリーンナップからバックスクリーンへの3連続本塁打を浴びた。この年、生涯唯一となる公式戦本塁打を、広島東洋カープの白武佳久より記録している。 翌には近鉄時代に超えることができなかった有田修三が巨人に移籍してきたため、出場機会は更に減少。は1A・マイアミ・マーリンズに野球留学した。主に二軍において若手投手の育成に専念しつつ、1988年を最後に現役を引退。 引退後は、に横浜大洋ホエールズの監督に就任した須藤豊の誘いで大洋の二軍バッテリーコーチに就任し、からには一軍バッテリーコーチを務めた。には古巣・巨人に復帰し、二軍育成コーチ(1993年 - )・二軍バッテリーコーチ( - , )・一軍バッテリーコーチ( - )を歴任。村田善則らを育てた。2000年オフに退任。 巨人コーチ退任後は講演を中心に活動しており、現在は横浜市で少年野球の指導に力を入れている。プロ野球マスターズリーグ・札幌アンビシャスにも在籍した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐野元国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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