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佐野 奈津子(さの なつこ、1975年1月24日 -)は長崎県出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級と70kg級の選手。身長171cm〔「平成11年度後期全日本強化選手名鑑」近代柔道 ベースボールマガジン社、2000年2月号〕。なお、48kg級で活躍していた長井淳子とはいとこにあたる〔「ZOOM IN 素顔 長井淳子」近代柔道 ベースボールマガジン社、1992年11月号〕。 == 人物== 三井楽中学から柳川高校へ進むと、1年の時には早くも先輩の松永真里子や国吉真子らとともに、金鷲旗での優勝に貢献した〔学科・クラブ紹介 運動部 柔道部 〕。新設されたインターハイ女子団体戦決勝の夙川学院高校戦では1年生ながら代表戦に出場して、同じく1年生の吉田早希と対戦するが判定で敗れて2位に終わった。全国高校選手権の66kg級では優勝を飾った。2年の時には金鷲旗で2連覇を果たした。インターハイの団体戦では予選リーグで夙川学院高校と同じブロックに入ってしまったこともあって、得失点差で決勝トーナメントに進めなかった。強化選手選考会では決勝で筑波大学3年の大石愛子に敗れたが2位となった。全国高校選手権では2連覇を果たした。3年の金鷲旗では2年後輩となる超高校級の1年生の阿武教子らとともに活躍して3連覇を達成した〔。インターハイの団体戦でも優勝を成し遂げた。しかし、世界ジュニアでは3位にとどまった。1993年には筑波大学へ進学すると、1年の時に東アジア大会で3位となった〔卒業生 - 筑波大学柔道部 〕。その後はケガなどの影響もあってしばらく結果を残せずにいた。4年の時には全国女子体重別で3位になると、福岡国際で2位、フランス国際でも3位に入るなど復調してきた。1997年には塩谷建設の所属となると、選抜体重別では決勝まで進むも、住友海上の木本奈美に敗れて世界選手権代表にはなれなかった〔。アジア選手権でも2位にとどまった。福岡国際の70kg級では3位だった。1999年1月の福岡国際では優勝を飾った。12月の福岡国際では3位だった。2000年の選抜体重別では3位にとどまりシドニーオリンピック代表にはなれなかった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐野奈津子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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