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佐野 心(さの こころ、1967年1月23日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(外野手)。2004年4月に常葉学園菊川高等学校硬式野球部の部長に就任し、一時は監督を務めた。 父はの第1回ドラフト会議で広島カープに1位指名で入団した佐野真樹夫。広島に4年間在籍し、引退後は長年にわたり浜松でシニアリーグを指導している。 == 来歴・人物 == 広島県広島市生まれ。小学5年生から野球を始める。中学時代から家庭の事情で静岡県浜松市に引っ越した。 浜松商業高校3年生時の、夏の甲子園に3番・右翼手で出場。専修大学硬式野球部では主に1番を打ち、3年生時の秋に首位打者を獲得。4年生時は主将を務めた。東都大学1部リーグ通算64試合出場、242打数86安打、打率.355、0本塁打、20打点。ベストナイン3回。いすゞ自動車では3年連続で都市対抗野球大会に出場。 1991年のドラフト6位で中日ドラゴンズに入団。親子でドラフト指名を受けたのは史上初。入団当時の背番号4はチームが異なるものの、父と同じであった。俊足に加え、それを生かす傑出した走塁技術を持つ選手であった。しかし、打撃では伸び悩み、限りで現役引退。引退セレモニーも行われた。 4月、静岡県の常葉菊川高校教員となり硬式野球部の部長就任。投手育成を担当し理論的指導で田中健二朗、戸狩聡希の両左腕を育て上げ、高校の先輩である森下知幸との二人三脚で同校をの春の甲子園で優勝に導いた。同年の春季県大会前に、日本学生野球憲章に違反する同校の特待生制度の存在が発覚した。発覚後、特待生制度を利用した生徒の春季県大会出場を見合わせたため、試合前日に登録選手の半数近くを交代させる異例の事態となった。この一連の問題の責任を取り佐野は部長を辞任したが、2か月後に同部部長に復帰した。 5月、森下が週刊文春で報じられたセクハラ問題により夏季大会終了まで謹慎処分を受けたため監督に就任。同年夏の甲子園に出場を果たし準優勝。2008年9月、森下の監督復帰に伴い部長に復帰。2012年4月1日付で部長を辞任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐野心」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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