翻訳と辞書
Words near each other
・ 何叔衡故居
・ 何可欣
・ 何呉と
・ 何呉となく
・ 何呉と無く
・ 何咸
・ 何品萱
・ 何嘉莉
・ 何回
・ 何回も
何夔
・ 何太后
・ 何奴
・ 何如璋
・ 何姫
・ 何婧英
・ 何宗
・ 何宗蓮
・ 何宗道
・ 何平平


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

何夔 : ミニ英和和英辞書
何夔[なん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なん]
  1. (int,n) what 

何夔 ( リダイレクト:何キ ) : ウィキペディア日本語版
何キ[かき]

何 夔(かき、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代の人物。字は叔龍。豫州陳郡陽夏県(河南省太康県)の出身。父や母の名は不明。叔父は何衡。子は何曾。孫は何劭・何遵。曾孫は何蕤・何嵩・何綏・何機・何羨。
曽祖父は安帝時代の人物である。宦官に疎まれ免職となった叔父に連座して、父も官位を失ったようである。父を早くに亡くしたため、母や兄と生活した。
戦乱を避けて揚州へ至った。193年袁術が揚州へ進出すると、袁氏の縁者でもあった何夔を招こうとしたため拒絶した。また197年、袁術が橋蕤と共に蔪陽に侵攻した際、何夔を脅して蔪陽を降伏させようとしたがこれも拒絶した。後、曹操の下に逃れて登用された。
曹操は厳しい性格で、職務で誤りを犯した属官をよく杖で殴っていた。曹操が司空だった時、何夔は彼の属官となった。このため毒薬を所持し、杖で叩かれたら毒薬を飲む覚悟で職務に当たっていたという。孫盛は曹操のこの行動を礼節に欠けると批判するとともに、毒薬で処罰を逃れようとする何夔の心の狭さも批判している。
何夔は郡太守をいくつか経験し、海賊の菅承を降参させ郭祖を討つなど治績をあげた。また、曹操に軍事・政治の両面で何度か有益な進言を行なった。
その後は曹丕付となり、涼茂と共に仕えた。毛玠と親しい一方で丁儀兄弟とは仲が悪かったため、丁儀の権勢を案じた傅巽に忠告された。しかし何夔は、丁儀が道義に外れた行ないをする限り、失脚を免れることはできないだろうと予想した。やがて丁儀は粛清されることになった。
が成立すると列侯に封じられた。死後、靖侯と諡された。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「何キ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.