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郭 源治(クォ・ユェンツ、かく げんじ、1956年10月5日 - )は、台湾の台東県台東市出身の元プロ野球選手(投手)。 台湾原住民族アミ族で、1989年9月日本に帰化。現在の本名は佳久 源治(読み同じ)〔「セカンドキャリアの球人力 郭源治」『週刊ベースボール』2012年2月27日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20444-2/26, 88-89頁。 〕。 == 経歴 == === アマチュア時代 === 1956年、台東市豊年村アミ族の父・クムン(郭文志)と母・ブタル(林愛妹)の3男として生まれ、勇敢になってほしいという願いからアミ語で猪を意味するブァフィーと名付けられた〔木村元彦「現代の肖像 郭源治 元中日ドラゴンズ投手 海を超えた『山の子』の快速球。」『AERA』、1999年5月10日号、P.62-66〕〔「守護神伝説 クレバーなストッパー、郭源治の知られざる真実」『Sports Graphic Number』、1988年10月5日号、P.19〕。農業を営む生家は貧しく、竹で編まれた約6坪の小屋に親子9人で暮らしていた〔。弟妹の子守や畑仕事の手伝いのかたわら、草を巻いて作ったボールで野球を始めた〔。、豊年小学校6年生の時に台東県大会で優勝し、リトルリーグの台湾代表チーム・金龍隊のメンバーに選ばれた〔。郭は3番打者を任され、中堅手兼2番手投手として活躍し、東京の極東大会を制して臨んだアメリカのペンシルベニア州ウィリアムズポートで行われたリトルリーグ・ワールドシリーズでも優勝した〔。 帰路も日本に寄って後楽園球場でNPBの試合を観戦し、試合前の約束通りに王貞治が本塁打を打って感銘を受けたという〔森哲志『不屈のプレイボール』、河出書房新社、2002年、P.56〕。金龍隊のチームメートは宋美齢の申し出により全員が私立の華興中学校に学費免除で入学し、台北市内の寮に入った〔森哲志、2002年、P.57〕。試験に落第したら退学という事もあって勉強を熱心に行ない、系列の華興高校に進んでいる〔森哲志、2002年、P.58〕。同校ではエースとして後輩の李宗源、劉秋農とともに投手陣を形成し、チームは無敵とまで評されている〔。学費の問題などから大学進学は諦めていたが、報道を通じてそれを知った宋美齢の助けを受け、宋が理事長を務める輔仁大学へ入学した〔。 大学では幼児の体力づくりなどを研究し、卒業後は徴兵され台湾陸軍に入った〔。兵役中は特殊部隊にも配属され、軍用機からの夜間降下訓練も行なっている〔森哲志、2002年、P.54〕。兵役中の1月に社会人野球の選手を主体にした日本代表との対戦で完封勝利を収め〔朝日新聞、1981年7月30日付朝刊、P.16〕、3月に中日ドラゴンズと仮契約を結び入団が決まった〔朝日新聞、1981年3月27日付朝刊、P.17〕。契約金と年俸はそれぞれ1,250万円と最低保証額の240万円(いずれも推定)で、3,000万円以上の契約金を提示してきたNPBの球団もあったが、最初に高く評価してきた中日を信頼して入団を決めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「郭源治」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Genji Kaku 」があります。 スポンサード リンク
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