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依蘭県(いらん-けん)は中華人民共和国黒竜江省ハルビン市に位置する県。県人民政府の所在地は依蘭鎮。満州族の古くからの居住地であり、清室祖宗発祥の地。 ==歴史== 依蘭とは「依蘭哈喇」の略称であり、満州語で「三姓」を意味するイラン・ハラ( 転写:ilan hala)の音写。意訳した三姓という旧称も存在する。『三姓志』の記載によれば清初、松花江(Sunggari ula)中流のフルハ河(Hūlha bira、胡爾哈河、現在の牡丹江市)口、湯旺河口、下マナハ(Manaha、瑪那哈)地方及びフルハ河正東倭和地方にヘジェン人(嚇哲人)が数十戸から数百戸の集落を形成していた。天聡年間にフルハ河一帯の1000人を山東征剿に用いている。また満洲国が編纂した『依蘭紀略』には盧、葛、舒の三姓が居住していたことより三姓の地という地名が発生したと記載されている。 古代は粛慎の居住地であり、唐代は渤海黒水都督の管轄とされた。遼代は女真五国部(剖阿里、盆奴里、奥里米、越里篤、越里吉の五国)の地とされた。金代は胡里路とされ、初期は万戸府、後に節度使が設置された。元代は軍民万戸府、明代は奴儿干都司忽儿海衛が設置された。清初の1714年(康熙53年)には三姓協領衙門が、1731年(雍正9年)12月には三姓地方副都統の設置が上奏され、翌年には副都統が設置され、黒竜江下流及び松花江中下流及び沿海州などを統括し、この地域に居住する諸民族が貢納する毛皮と絹布を初めとする中国物産との交易が行われ、 三姓は松花江水運の要衝として発展していった。 1905年(光緒31年)、吉林将軍による三姓吉江(吉林、黒竜江)地区の中心にすべく府治設置の上奏が出され、翌年2月15日に依蘭府が設置された。中華民国が成立すると、1913年3月に依蘭県に改編され現在に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「依蘭県」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yilan County, Heilongjiang 」があります。 スポンサード リンク
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