翻訳と辞書
Words near each other
・ 保全状態
・ 保全状況
・ 保全生態学
・ 保全生物学
・ 保全経済会
・ 保全経済会事件
・ 保全遺伝学
・ 保内IC
・ 保内インターチェンジ
・ 保内信号場
保内商人
・ 保内村
・ 保内村 (富山県)
・ 保内村 (新潟県南蒲原郡)
・ 保内村 (新潟県岩船郡)
・ 保内町
・ 保内藩
・ 保内駅
・ 保冨康午
・ 保冷


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

保内商人 : ミニ英和和英辞書
保内商人[ほ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [しょう]
  1. (n,n-suf) quotient 
商人 : [しょうにん]
 【名詞】 1. trader 2. shopkeeper 3. merchant 
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

保内商人 ( リダイレクト:得珍保#保内商人の活動 ) : ウィキペディア日本語版
得珍保[とくちん の ほ]
得珍保(とくちん の ほ〔「とくちんほ」「とくちんのほう」など読み方は複数ある。保の前に「の」を入れるか入れないか(入れない場合連濁するかしないか)、保を「ほ」と読むか「ほう」と読むかなどの違いがあるためである。ここでは平凡社『日本史大事典』の表記に従った。〕)は日本中世、遅くとも鎌倉時代頃から戦国時代まで近江国蒲生郡(現・東近江市)に存在した延暦寺東塔東谷仏頂尾衆徒領の荘園である。保内の今堀日吉神社に保蔵されていた文書によって商人たちの商業活動が判明している数少ない例であり、後の近江商人につながる中世後期商人たちの拠点となった荘園でもある。また惣結合(郷村の自治結合)が発達した地としても有名。
== 得珍保の成立と惣結合 ==
(ほ、ほう)とは元来、律令制における行政単位(・里)が平安時代中期(11世紀頃)に崩壊する中、国衙領が再編され、(霊亀元年(715年)に里から改称)や名(別名)と並ぶ行政単位となったものである。未開墾地の開発申請に応じて、国守が認可を与えた荘園を指し、開発申請者が保司に補任された。
「得珍保」の名は比叡山延暦寺の僧であった得珍(徳珍とも)が平安時代後期に愛知川から用水路を引いて農地化したことに由来する〔『国史大辞典』「得珍保」。〕。その後農民が定着し、多くの郷が発展した。14世紀以降、保内は上下各4郷に編成され、上四郷(田方)は柴原西村、美並村、二俣村、上大森村、下大森村、平尾村、尻無(しなし)村から成り、下四郷(野方)は蛇溝村、今在家村、金屋村、中野村、小今村、東古保塚(ひがしこぼちづか)村、今堀村のそれぞれ7箇村から成っていた〔『日本史大事典』「得珍保」。〕。これらは保内郷と称する。各郷には日吉大社(山王権現)を勧請した社が設けられ、村落の祭祀結合の中心となっていた。それらの宮座を中心として遅くとも鎌倉時代ごろには各郷に惣結合が発達していた。得珍保の中心的存在となっていたのは今堀村で〔仲村1984、201-203頁。〕、今堀日吉神社に村の共有文書や商人団の文書が保管されており、この今堀日吉神社文書によって宮座を中心とする惣結合の実態や保内座商人の活動の詳細を知ることができる貴重な史料となっている〔『今堀日吉神社文書』を利用した今堀郷の惣結合や保内商人の活動については仲村1984が、1975年までの24の論文について内容・主張などを詳細に紹介している。〕。
弘和3年(1383年=永徳3年)付の「今堀郷結鎮頭定書案」は今堀十禅師権現(今堀日吉神社)の宮座行事を規定したものであるが、文末には「''仍衆儀之評定如斯''(よって衆議の評定かくのごとし)」とあり、この定書が宮座の衆議で決定されたことが分かる。しかし、中人(ちゅうにん)・間人(もうと)などと称された農民は宮座に参加することはできたものの3歳年下の扱いを受けるなどの差別もあった。座の閉鎖性はこれに限らず、旅人を村内に留めることを禁止したり、養子に関わる様々な規程を設けるなどの規制もたびたび掟書で定められている。延徳元年(1489年)の「今堀地下掟書案」20箇条には、身請人のいない他村人の滞留禁止、森林伐採の禁止、犬の飼育禁止〔日吉神社の使いが猿であるとの伝承と、「犬猿の仲」のたとえから、犬は不浄の生き物とされた。『戦国全史』129頁。〕、村の生活規範など、風紀の規制が細かく定められていた〔『滋賀県の歴史』112頁。〕。今堀惣の掟の中で15世紀の早い段階のものは宮座加入金の納付や郷民の序列など、今堀日吉神社の祭祀に関わる規程が大きな比重を占めていたが、16世紀に入る頃には惣寄合への出席の義務、森林伐採、肥料の確保といった現実的な問題に関する処罰規定が前面に打ち出されるようになっていった〔『日本歴史大系2』565-597頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「得珍保」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.