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保坂 秀樹(ほさか ひでき、1971年8月5日 - )は、日本のプロレスラー。新潟県糸魚川市出身。 WEWハードコアタッグ王座初代王者でもある。 == 経歴 == 高校卒業後、1990年5月、サブミッション・アーツ・レスリング(SAW)に入門、SAWでは木村浩一郎の後輩にあたった。1年間に渡り修行を積み、同道場から派遣される形で1991年8月7日、W★ING(旧W★ING)後楽園ホール大会での格闘技マッチでプロデビューした。 旧W★ING崩壊後、所属していた選手達の殆どがW★INGプロモーションに移籍する中、保坂はW★INGプロモーションと別れたWMAに所属するものの、WMAは一試合も行うこと無く活動停止してしまう。 その後保坂はPWCに移籍し『弁慶』のリングネームで試合を行うものの同団体の経営難から離脱し、一時リングスにも出場するなどしたが、1994年にFMWに活動の場を移し、翌1995年2月にリッキー・フジを破り第3代インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座を獲得する。2000年4月には佐々木嘉則をパートナーにWEWハードコアタッグ初代王者になり、同タッグ王座には合計3度就くことになった。 保坂はFMW所属時から全日本プロレスに登場していたが、2002年3月23日に正式に全日本プロレスに入団。中堅どころとして活動していたが2003年に当時、対抗戦を行なっていたZERO-ONEに参戦した際に「ZERO-ONE最高」といった旨の発言を行い全日本と敵対。全日本に籍を残しながらほぼZERO-ONE所属となった。しかしZERO-ONE崩壊後は全日本、ZERO1-MAXどちらにも所属していない。5月に右膝を骨折し、長期欠場する(時期は不明だがいつの間にか解雇されていた。)。 長い欠場の後、2006年9月24日の維新力30周年記念大会で復帰した。当初、保坂は天龍源一郎の付き人として来ただけだったが天龍の一言で復帰することになった。 その後も保坂はWMFでヒールとして継続参戦を続けていたが団体解散とともにフリーランスとなり、セミリタイア状態となった。 2012年、吉田充宏が代表を務める「ごじゃっぺプロレス」のGJP初代王者となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「保坂秀樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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